2022 day 85

春は苦手な季節だ。

ショッピングモールの通路の端にある小さなベンチにひとり座って、向かい側のCDショップのモニターに映る映画の宣伝動画をぼんやり見ている。週末の夜にひとりでいるのは寂しいものだ。ショッピングモールにいると、周囲の賑やかさが余計に寂しさを増強させる。かと言って、家にいたら静寂に耐えられないだろう。

なんのことはない。妻と息子が向こうの実家にお泊まりで遊びに行っているだけなのだ。でも今の自分にとっては、これは昔の自分じゃ考えられないことなのだが、家族がそばにいない時の心の不安定さと言ったら、ともすれば背中が丸まり目線は垂直に地面に落ちていくほどで、酷いものだ。とてつもなく家族に依存しているのだ。

普通はこうしてたまにできる"独りの時間"を有効に楽しむものなのだが、そして以前の自分はそうしていたのだが、月日の流れとともにそういう心持ちは薄まり、今じゃひとりきりになんて絶対になりたくない。常に妻と息子を近くで感じていたい。これは愛が深すぎるなのか、それとも相当病んでいるのか。

昨年の夏以降に在宅勤務を始めたのもひとつの要因だろう。仕事部屋にいても階下で家族の存在を感じられる。当初はプライベート空間は仕事に邪魔かなと思っていたが、全くそんなことはなく、寧ろ非常に幸せだ。仕事の合間にふたりに会いに行ってしまうこともしばしば。家族との時間が増えた分、独りの時間が異常になってしまった。

一年の中で最も不安定になるこの季節は、ちょっとしたイレギュラーも耐え難く、体調も精神のバランスも崩しやすい。積み重なった悩み事からくる切迫感に押し潰されそうになった時に、妻と息子の顔を見ると、束の間、心が安らぐ。あんなに尖っていたあの頃の自分はどこに行ってしまったのだろうと、時折不思議に思うが、もともと脆い人間であったわけだから、致し方ないと肩を落とす。

春の匂いも、生ぬるくて強い風も、花曇りの空も、全て、歪んで滲んで溶け出した絵の具の洪水のように、じっとりと重くのしかかり、心の自由を奪っていく。

寄る辺ない夜の独り言ほど、虚しく響くものはない。

 

追記

上述のような心持ちのまま、マット・リーヴスの『THE BATMAN』をレイトショーで観に行ったのだけど、不安定なキャラクターばかり出てくる不安定な描写の多い3時間の長尺をまともに観ていられるか不安ではあった。ずっと楽しみにしていた作品なので、妻と息子が不在のこのタイミングを使うにはもってこいなわけだが、果たしてこんな気分で楽しめるのか。

しかし、それは杞憂に終わった。

アバンタイトルから丹念に作り込まれた世界観に引き込まれて、スクリーンはずっと暗いままだけど気分は爽快。さっきまでしょぼくれていた男が、嘘のように終始ニヤニヤしている。ポール・ダノが出てきた時にはやったー!と心の中で拍手し、時には字幕の翻訳に感心したりして(例えば、アルフレッドの"I'm sorry"を「無念だ」と訳し、それを受けた次のブルースのセリフ"Don't blame yourself"にうまくつなげていて、アンゼたかし氏のワードチョイスに唸った)、いろんなことを忘れてたっぷり映画を楽しんだ。

やはり映画は、映画館は、すばらしい。寄る辺ない夜の拠りどころだ。

2022 day31

昨年末あたりからオミクロン株が広がり始め、これは第6波なのかな?毎日感染者が過去最多を更新し東京都だけで日々1万人、あっちこっちでマンボーを踊り出す。先週末、用があって都心の人がよく集まる数ヶ所に行ったが、人出は減っていた。これは通勤電車も期待できるぞと思ったのだが、今朝のJRはいつも通り、密。みんな変わらず普通に通勤している。

昨年の秋に感染者数が落ち着いたら、各企業ともこぞってテレワークからオフィス出勤にシフトを戻した。うちの会社もそう。よくわからない理由で、月間のテレワーク日数の上限が定められ、まだまだ変わろうとしない人たちの方が多いんだなと思わされた。いまだにハンコ仕事あるしね。

オミクロンが猛威を奮い始めた12月になって、会社はまたテレワークに全面シフトしたのだが、最近になって妖精、ではなくて陽性がぽつぽつ出始め、いよいよ来たなという感じがする。

オフィスに行かなければならない理由がない限り、極力自宅にこもって仕事をしているが、今日みたいに通勤の日は憂鬱だ。感染リスクも嫌だけど、なにより通勤が億劫だ。オフィスまで片道1時間半かかるので、テレワークと比べて睡眠時間も家族との時間も削られる通勤は、今や自分にとって悪だ。

2020年の緊急事態宣言の時のように、街から人がいなくなるなんてことは、もうないのかな。街に人影はまばらで、電車もガラガラ、人に会わずに過ごす日々。それで鬱になる人もいたようだけど、自分も妻も寧ろそのほうが嬉しくって、あの頃はかなりエンジョイしていた。基本的に人付き合いが苦手なふたりは、家族以外に人と会わない生活が性に合っていたようだ。まあ、自分は当時通勤していたので、職場で人と直接関わっていたのだが(当たり前のことだが)、妻は専業主婦で、息子もまだ幼稚園に入る前だったから、息子との時間がより濃いものになったようで喜んでいた。

コロナ禍になって2年以上経ったが、いまだに飲食店を軸に締め付ける程度の対策くらいしかないので、政治の姿勢を変えようとする人が少ないんだなと思うのだが、家族以外と好んで食事はしない自分にとって、例えば飲み屋で酒が提供されなくなっても、閉店時間が早まっても、ほとんど影響がないのも事実。コロナの何が怖いって、感染直後に発症する症状よりも、場合によってはその後長期に渡り悩まされるかもしれない後遺症のほうが怖い。

だから、国や経団連に力を入れてもらいたいのはテレワークの推進。個人レベルではテレワークのメリットがオフィス勤務よりも圧倒的に多いので、是非とも進めてもらいたい。朝晩の通勤に充てていた時間は他のことに使えるし、不特定多数の他人と会わなくていいし、好きな服装で過ごせるし、雑音に邪魔されず仕事に集中できるし、ちょっと体調が優れなくても無理せず頑張れるし、昼飯は自炊ならランチ代が浮くし、休憩時はソファや寝床でのんびりできるし、子供やペットの面倒をみることができるし、妻が恋しくなったらすぐに会えるし、残業で遅くなっても帰宅の時間を気にしなくていいし、飲み会に誘われることもない。

22時半、帰宅途中の電車の中は、仕事帰りの人たちと自分。iPhoneは睡眠モードに入りやがった。8時間睡眠になるようセットしてあるのだが、テレワークじゃないとできないな。

2021 day365

今年の振り返り。

1月 長年世話になった事業所に別れを告げ異動。

2月 異動先が家から遠いし、これまでと文化が全然違うし、日常的に英語を使うし、みんな残業が酷いし、ストレスが増える。

3月 緊急事態宣言が解除され、まん防の中、花粉症に悩む。

4月 息子、年中さんから幼稚園入園。

5月 今年一番の映画、『JUNK HEAD』を鑑賞。

6月 幼稚園の父の日イベントで、息子から似顔絵のプレゼントをもらう。

7月 九十九里、最高の海を満喫。

8月 職場でプチクラスターにより、急遽在宅勤務に移行。

9月 レッドウィングのベックマン フラットボックス 9060を入手。

10月 結婚10周年を迎える。

11月 息子、初の美容室カットと七五三。

12月 家族で一年ぶりのディズニーランド。

 

大変なことも多かったけど、けっこう楽しいイベントや大事なイベントが多かった。来年こそは待望の……。

2021 day272

この1週間で朝晩は涼しくなってきた。この夏は8月は雨が多かったし、昨年と比べて猛暑を感じる日も少なかったので、あまり夏を満喫したとは言えない。8月からずっと在宅勤務が続いていて、ずーっと家にいる。

9月にようやくワクチンを打って、来月2回目を控えている。ここのところ感染者数も一気に下がり、東京でも250人前後。菅さんの退陣に合わせて緊急事態宣言も解除される。冬には第6波が来るとも言われているけれど。

すっかりオンラインに慣れてしまって、どこかに出かけるのも億劫に感じるが、外出したらしたでやはり楽しい。今はもう週末くらいしか出かけることはないので、平日の外の様子がよくわからない。通勤電車には乗りたくないが、プライベートで出かけるのは楽しい。楽しい用事があれば。

健康診断で甲状腺にしこりが見つかり、先週末、病院に行って検査してもらった。今週末はその結果を聞きに行く。

仕事はとんでもなく忙しくなり、今月の残業は70時間を超えた。産業医面談の一歩手前だ。これ、在宅勤務だから凌いでいるが、通勤だったら体力が相当消耗していたはずだ。当分、在宅勤務を続けたい。

毎晩、夕飯の後に海外ドラマの『デクスター』を観ている。昔、シーズン5くらいまでは観ていて、そこから先観てなかったので、一から観直している。ようやく最終シーズンのシーズン8。舞台はアメリカのマイアミ。警察に勤めている血液分析官が実は殺人鬼で主人公。3歳の時に目の前で母親が惨殺され、そのトラウマを抱えたまま、その事件を担当していた警察官ハリーの家に引き取られ、「殺したい」という衝動に駆られながら大人になったという複雑な生い立ちのデクスターの日々を描く。いやぁ、面白い。当時はこの設定が斬新でお気に入りのドラマだったが、今観ても面白い。決して重いトーン一色というわけではなく、寧ろ軽やかさのある演出で、けっこう残酷なことをやっているのだけど、ポップで観やすい。妹のデボラが口が悪すぎて笑えるし(どこからその汚い表現は出てくるの?と毎度ツッコンでいる)、主人公デクスターはもとより魅力的なキャラクターがたくさんいて、飽きない。今度10年ぶりくらいに新作が放送されるらしい。とっても楽しみ。

明日から10月。台風16号が来る。土曜日は晴れるというが、息子の幼稚園の運動会なので、無事開催してもらいたい。こちらもとっても楽しみ。

2021 day217

東京で感染者数が初の5,000人台に乗った今日、自分は帰りの電車のボックスシートに独り陣取り、腹をすかせている。隣には、業務PCとその周辺機器が入ったIKEAの袋とそれに入りきらなかったものを詰めてパンパンになった通勤鞄。明日からはしばらくリモートワークだ。

オリンピックも後半戦。日本男子サッカーがスペインに延長戦終盤で点を許し惜しくも敗れたもののいい試合を見せてくれたり、スケボーの選手たちがほかの誰かが滑るたびにお互いを讃えあっていたり、バドミントン女子で金メダルを取ったインドネシア選手がコロナで亡くなった兄に捧げた想いに目頭を熱くさせられたり、素晴らしい選手たちの闘いに拍手を送りながら観戦している。

一方で、ソフトボール選手の金メダルを首にかけ、さらには勝手にかじるという知性も品性も何もない最悪なパフォーマンスをして大バッシングを浴びている名古屋市長のように、しょーもないどーしよーもない政治家とは名ばかりの連中のニュースに嫌気がさすが、人流は減ってるだとか中等症の患者は自宅が病室ですだとか言ってる人間がそもそも政治の中心にいる今のこの国に、いったい何を期待できるというのか。

今日は気温は何度まで上がったのだろう?7時に家を出た時から暑かったからな。もう朝一から海日和だったから。週末も絶対晴れてほしい。だって絶対海に行きたいから。誰もいない海へ。何も考えなくていい時間を過ごしに。

2021 day208

先週の海の日はまさに海日和で、照りつける日差し、どこまでも青い空、透き通った海を満喫した。

九十九里は不開設だったこともあり、ビーチはガラガラ。朝から行ったが、自分たち家族のほかには常時3〜4組しかいなかった。たまにライフセーバーが見回りに来るくらいで、なーんにもないビーチ。これがいい。打ち寄せる波の隙間で小魚が泳いで、引き潮とともに海に戻っていく。

浅瀬に寝転んでちゃぷちゃぷ遊んでいただけだが、けっこう焼けたみたいで特に顔と膝が赤くなりヒリヒリしている。翌日には顔の皮が剥け始めた。今日、職場のエレベーターの鏡に映る自分の顔を見たら、額の皮が白く剥けていて汚かった。鼻や頬はマスクで隠れていてよかった。

打って変わって今週は、曇りと雨の繰り返し。気温もさほど高くない。夜は風が吹いてちょっと涼しい。湿度さえ高くなければ相当過ごしやすいはずだ。今週いっぱいはこんな感じの天候らしい。先週海に遊びに行っておいて大正解だった。8月もまた行きたいな。海か川。

オリンピックが始まって、是非はともあれスポーツ観戦は楽しい。これ、せっかくなら会場で生観戦したかったものだ。せめて選手の親とか子供とか家族だけでも生観戦できたらよかったのに。叶わぬ話だが。

柔道の阿部兄妹、水泳の大橋悠依、卓球の水谷&伊藤ペアの活躍は漫画のようでドラマティック。今回からオリンピック競技に加わったスケボーでは、男子女子それぞれで金メダルを取ってるしね。アメリカじゃないんだ、と驚いた。今夜のソフトボール決勝では、日本とアメリカがいい試合をしていた。日本2点リードの7回表で、レフトに飛んだ日本のホームランボールをフェンス越しにジャンピングキャッチしたアメリカ外野手のナイスプレーはよかったなあ。最後は上野が3人で抑えて金メダル。あー、始めから見たかった。

こうしてオリンピックはオリンピックとして楽しんでいるけれど、一方で解決されていない問題ばかりで、それは絶対忘れてはいけない。今日の東京の新規感染者数は一気に跳ね上がり2,848人で1月7日以来の過去最多。飲食店の半数くらいは時短や酒類の提供停止に応じなくなった。コロナ禍が始まって1年半経っても国のサポートが手薄なのだから、当然の話だ。東京から川崎に越境飲みしている人もいるし、一般人・公人・財界人問わず飲み会が開かれ陽性者が出ている。職域接種もワクチン不足で直前で延期になったりして、この国の舵取りが不安で仕方ない。

と、社会の大きな問題に目を向けつつ、頭の中の大半は家族や仕事のあれやこれやで占められている。自分らの生活を豊かなものにするにはどうすればいいのか、考える。

でも帰宅して「おかえり」の代わりに「うんこ、ちんちん」を連発してくる5歳の息子とルーティンの追いかけっこ(息子がパパの部屋着を着て、着替えをジャマする遊び)をしていると、全部忘れる。子供の存在感は強い。

2021 day205

昨晩のTOKYO2020の開会式は、選手の入場式だけにしておけばよかったのにと思えるほどつまらない内容だった。つまらないだけじゃなく、まとまりがなくわけがわからん内容だった。

唯一目を惹かれたのは、ドローンの群れが作り出した球体。あれだけはすごいと思った。

あとはほぼほぼワールドワイドなセレモニーとしては貧弱というか、せいぜい国内向けのテレビサイズというか、わかりやすく言うとEテレ枠の番組程度の演出だった。

火消しの唄とか木の輪の五輪とか森山未來コンテンポラリーダンスとか、別にいいんだけど迫力もなけりゃ高揚感を煽られることもない。

海老蔵もしばらく〜を繰り返した後は着物をモチーフにしたドレスを着たジャズピアニストに画面を占領されてしまい、最後にちょっとだけ見得を切っておしまいで、何のために出てきたのか皆目わからない。またこのジャズピアニストが執拗にカメラ(観客)に向かって「グルーヴ溢れちゃうねー」的な笑顔をニカッと向けてくるのが気持ち悪くなってしまい、これは苦手だった。とにかく意味不明な海老蔵とジャズピアニストのコラボ。(コラボできてたとは思えないけど。)

劇団ひとりのベタなコントも、なだぎ武らの必要とは思えない寸劇も、本人たちには罪はなく、ただひたすら演出家にスベらされて可哀想だった。(劇団ひとりのとき、会場内では笑いが起きていた。選手たちの笑い声だとアナウンサーが言っていたが、笑ってるの日本の選手だけなんじゃない?と思った。だって、つまらないんだもの。)

あと、ピクトグラム。50種目全部マイムでやるってやつだが、惜しくも途中で一度失敗したのはこの際どうでもよく、そもそもこのピクトグラムEテレ感の最高潮だった。アナウンサーが、カメラワークを上手に使ってますね〜だって。プロでも他に言うこと思いつかないわけだ。これいったい誰が楽しんでるんだろう?

さらに音楽は、ドラクエすぎやまこういち)とイマジン(ジョン・レノン)という相反する思想を同じ箱に詰め込んだカオス。右翼思想の音楽家と労働者階級のヒーローをぶち込んで、Togetherだって。ルー大柴を連れてこい。(というかね、イマジンもいい加減こすられ過ぎてるのにそれでもまだ使うのかい?しらけるだけじゃない。もちろんいい曲だしジョンは好きだけど、こんな何十年と使い古された手口でいったい誰が感動するわけ?あとあの即席でさっき作りましたみたいな安いMVみたいのは何?)

そうだ。せっかくならジョン・レノンの「Woman is the Nigger of the World」を歌ってくれたならよかったのに。もう幾重にも話題になるだろう。

聖火リレーでは、福島・宮城・岩手の子供たちが出てきたので、最近一切触れられなくなった復興五輪という言葉も申し訳程度に混ぜておくのねと思ったが、よくよく考えてみればこんな遅い時間に子供たちを出してよいのかという疑問が生まれ、純粋な気持ちで観られなかった。

選手の入場式も、ちょっと違和感を感じたのは、米国の大軍団が「U.S.A.!」と密になりながら大声で入ってきたところとか、日本の選手がマスクから鼻出ちゃってるところとか、この人たちほんとにわかってるのかしらん?と思ったのは自分だけだろうか?

あといろいろ感じるところがあったのは、橋本聖子とバッハの長ったらしい挨拶の後の天皇陛下の必要最低限で端的な開会宣言。この対比が何かを物語っている感じがした。それから、陛下が宣言をされている最中にようやく立ち上がった菅首相の姿は見逃さなかった。あれはうっかりだったのか、別の理由があったのかはわからない。わからないけど、あの表情で陛下の隣に座っている姿にはなんか腹立つ。

小山田問題に端を発してトカゲの尻尾切りのように開会式の前日に突然解任された小林賢太郎は災難だったと思うが、この演出は本当に残念としか言いようがない。ラーメンズやぽつねんは好きだけど、この舞台はつまらなかった。日本的なものをふんだんに詰め込みたかったのだろうが、もっとコンサバで無難な演出のほうがずっとマシだった。今回のは、外国人がやるような間違った日本的演出という感じと、勘違いしている系の日本のテレビ界と広告代理店がのけぞって作った挙句にまとめ役がいなかったみたいな感じ。火消しとか大工とかやるんなら、ねぶた祭りとか、よさこいとか、それこそ仙台七夕祭りとか、日本各地のお祭りで演出したほうがよっぽど日本らしさがあって見応えがあったと思う。

最後の花火の演出もしょぼかった。国立競技場の屋根で鼠花火を散らすってなに⁉︎日本には素晴らしい花火職人がいるじゃないか。花火大会ができない代わりに、その人たちにこういう場で活躍して貰えばいいのに!

このまとまりのない開会式演出は、今回の辞任・解任劇に伴い直前で変更されたから?予定通りの演出だったのなら、小林賢太郎の名前はクレジットすべきだ。でも中途半端にいじられてしまっていたのなら、クレジットされるのは汚名だな。

オリンピック開催の是非はさておき、残念な開会式だった。