2020 day229

昨日のだんごリベンジで、朝8時に近所のだんご屋に行ったら開店していた。おはぎと、みたらしと、ずんだと、おいなりさんも買おう。と、勇んで店先に行くと、ガラスケースの中には水まんじゅうとよもぎ大福しかなかった。仕方ないから2つずつ頼んだ。あと赤飯。奥を見ると仕込みをしている最中だった。商品が揃うのはまだこれからなのか。

家に帰り、とりあえず水まんじゅうと大福を食べる。ようやく起きてきた妻は息子と一緒に赤飯を食べた。

そして今日は『ドラえもん のび太の新恐竜』を観に行った。ソーシャル・ディスタンスにより、妻、息子、自分と、1席ずつ離れて座る。こうなるとペアセットで買ったポップコーンがシェアできない。家族やカップルで映画館に来たときの楽しみがちょっと減ってしまうな。とりあえず妻と息子の間にポップコーンを置いた。ふたりでパクパク食べている。息子がたまに「はい、どーぞ」と言って小さな手でポップコーンをひと粒こちらに渡してくれる。

のび太の新恐竜』は、社会に適応できない障害児、生きるための努力→進化、みたいな話だった。翼があるのに飛べない恐竜キューに、「飛べなきゃ生きていけないんだ!」と言うのび太は、残酷な現実に正面から向き合っていた。身体が小さくてしっぽも短いキューは、明らかに障害児。臆病で病弱で、のび太が甲斐甲斐しく世話してやらなきゃ途中で死んでいた可能性すらある。遅刻ばっかりして勉強ができなくて逆上がりもできないのび太は、キューに寄り添い見守り、キューの成長を促す。

食うか食われるかの厳しい社会では、生きる術を身につけなければ明日はない。ミューみたいに、初めから自然に飛べてしまう子がマジョリティーだから、キューのような子は劣等感を強く持ち、自己肯定感が低くなる。努力したって周りのみんなと同じように飛べる保証などない。キューは最終的に飛べるようになったけど、現実はそんなに甘くない。タケコプターのような便利な代替え品もそうそうない。キューは、たぶんほかの恐竜たちと同じようには飛べていない。だから工夫して、彼なりの飛び方を会得したのだと思う。

結局一番大事なのって、共生してくれる相手がいるかどうかだ。キューには、ミューやのび太がいた。隣で慰め励ましてくれる、そしてダメなところも受け入れてくれる、そんな人がいるかどうかで、人生は180度変わってくる。

息子にとっては2度目の映画館。

「ママ、見てー」

「きょうりゅうだ!」

「こわいねえ」

息子の興奮している横顔を見ながら鑑賞した。