コングレス未来学会議 ※ネタバレあり
ロビン・ライト(本人役)を通じて奇妙なバーチャル体験ができる映画。
『戦場でワルツを』と同じ監督だと知ったのは鑑賞後のこと。実写+アニメーションというモチーフはフォルマン監督らしいと納得。
前線に送り込まれ恐怖を植え付けられた若い兵士たちは、上官に命じられるがままに機関銃を撃ち放ち、命を奪っていく。黄色い空と灰色の大地が印象的なアニメーションにその過程がまざまざと描かれていた。
ラストシーンに実写が挿し込まれることで、あれは現実のことだったんだと思い知らされ、劇場の椅子に沈むように座りながらエンドロールを眺めていたのを憶えている。
『コングレス未来学会議』は観る者の心を空虚感で満たす。
落ち目の中年女優ロビン・ライトに、映画会社の社長や長年の付き合いのあるエージェントが、女優としてのアイデンティティを売り渡せと迫る。しかも、そうすることで「自由になれるんだ」なんて言い方をする。自由を謳い文句にする輩は大抵ファシストだ。
20年の契約で売った「女優ロビン」は、CG女優として大活躍。歳をとることもなく、34歳の若さを保ったまま、映画会社のいいように使われ続けている。
こんな未来が本当に来るのかねぇ、と半笑いしている場合ではない。ハリウッドでは実際に実験段階に入っているのだ。南カリフォルニア大学の研究がYouTubeに上がっている。
自分の中から女優というアイデンティティを捨てる決断をしたロビンには、母親という別の顔があった。小生意気で活発な性格の娘サラと、目と耳の機能が徐々に失われていく難病に侵された息子アル。ふたりの母親であるということは、ロビンにとっては絶対に切り離すことができないアイデンティティなのだ。
20年後。映画会社と製薬会社が生み出したドラッグによって現実から妄想の世界にトリップした人たちは、有名人の残像にうつつを抜かし躁状態で生きている。そんな民衆に向かって、年老いた本物のロビンが呼びかける。
「目を覚まして!」
ロビンは結局、「女優ロビン」を売り払ったことを後悔し続けていたのだろう。自分の魂が半分ちぎれたような感じ。
大事なものは人にあげたり、ましてや売ってはいけないんだ。どんなに割り切ったつもりでいても、いつか大きな波が心に押し寄せて来て、鏡に映る自分をぶん殴りたくなるだろう。
母親の息子への愛情というのは、尋常ならざるもの。現実と虚構の狭間で生き別れた息子アルとの再会を願うあまり、ラストではロビンの意識が息子と同化していく。
女優であることよりも、誰かの恋人であることよりも、愛する息子の母親であることを選んだロビン。選んだというよりは、むしろそれは当然のこと。母親になったその日から、女は一生母親であり続けるのだ。
目に入れても痛くないほどかわいい我が子と同化してしまうのは、母親だけに許された権利。エディプスの恋人は誰か、ということ。