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春は苦手だから

日常

よく春になるとラリパッパが蠢きだすというが、確かに子供の頃から春先にそういう天然系の人たちをよく目にしていたような気はする。

かくいう自分も、桜の蕾ができる前後くらいになると無性に身体と心がムズムズして気持ち悪いという感覚がランドセルを背負ってる頃からあったわけだが、それはきっと3月4月が卒業、入学、学年が上がるシーズンだということが大いに関係していたに違いない。学生にとっては、不安と期待と寂しさが入り乱れて精神的に不安定になりやすい時期なのだと思う。

社会人になったらなったで、年度末の繁忙から新年度を迎える慌しさに翻弄され、さらに人事に肝を冷やし頭を悩まされ、これまた憂鬱な気分が首をもたげてくるわけだ。

学校にも会社にも属していない時期もあったが、やはりそれでも社会の営みに巻き込まれることは避け難く、例えば4月になると朝夕の電車の混雑率が何割か増していたり、役所がらみの収めものがあったり、会社に属していないからこそ感じるおいてけぼり感に突き放されたり、とにかくこの春という季節、さらに限定すれば3月から4月にかけては、眉間のシワを深く刻む頻度が高まるばかりで、精神的に非常に落ち込みやすくなるのだ。

付け加えれば、前述のように何かしらの理由が説明できるならまだしも、これといって言葉にできるほどの理由が見つからないまま情緒不安定になることが多々ある。意味もなく心がフワフワと落ち着きなく漂い始め、それが微風に煽られているシャボン玉のように割れそうで割れない落ちそうで落ちない、如何ともし難い飼い殺しにされているような気分が、24時間のうち18時間くらいを占めるという、いわば季節による理由なき反抗を食らっているわけである。

そこにきて、10年ほど前からは花粉症に悩まされるようにもなり、本当に春は、殊更3月4月は、一年の中で最も忌むべき時期なのだ、といったら春が可哀想だろうか。いや、5月は好きなんだ。5月は12ヶ月の中でベスト3に入る月だから、それでなんとか帳尻を合わせようか、春。

そういうわけで、外にいるよりは内にいるほうが良く、動いているよりは静かに過ごすほうが楽なので、本来なら長期休暇を取って家でもそもそしていたいところだが、現実はそれを許してくれない。それならそれで対症療法でも施さないと、心と身体が病んでしまう。

ダウナーな気分を解放(介抱)するために、せめてできること。苦くない良薬。ほんの短時間、この世界とつながっている別の世界に旅をする。

そう、春を言い訳に映画館に引きこもることにした。 

映画館のように、公にいながら個の空間が保たれる暗い場所は他にはプラネタリウムか土管の中くらいだろうか。映画の世界にトリップしている約2時間の間は、完全にこの世のしがらみを遮断できる。本当に良い逃げ場だ。否、良い保養地だ。

ちなみにこのような言い訳は季節ごとに用意している。夏なら暑さ、秋なら夏の名残の侘しさ、冬なら寒さをそれぞれ言い訳にして、映画館に身を隠すという寸法だ。

そんなに映画館にいたいならいっそのこと映画館で働けばいいじゃないか、という意見には耳を貸さない。あくまでもサービスを享受する側でいたいのだ。好きなことを仕事にしてしまうと、それまで知りもしなかったことや気にも留めなかったことが苦痛になることだってある。経営者ならまた面白味もあろうが、そうなると趣旨がどんどんずれてくる。ただ映画館で映画を観ながら膝を抱えて親指を噛んでいたいだけなのだ。ちょっとした逃避行を味わいたいだけなのだ。

これは一体誰に釈明しているのだろう?

シアターシック

日常

本来は昨年6月終了予定だった業務が延長に延長を重ね、先週1月6日(金)にようやく完遂した。自分史的にも職場的にもだいぶ大きなウェイトを占める業務だっただけに、感無量を実感した。

そんな感傷に浸る暇もなく新年が始まり続々と案件が舞い込む中、ひとまずは年始の繁忙を乗り越えほっと一息をついてみたものの、今年に入ってまだ1本しか映画を鑑賞していないことに気づく。

映画を観ずとも生きていけることには間違いないが、人生に物足りなさを感じるのは否めない。

最近、人から映画の話を振られる機会が多く、ある人はIMAXで『君の名は。』を観るというし、ある人は自分の薦めた『アイ・イン・ザ・スカイ』を観に行った感想を聞かせてくれるし、ある人は『この世界の片隅に』をようやく観に行くとウキウキしながら教えてくれるし、そんな話をするたびにふと映画館が恋しくなっていることを自覚する。

ああ、これは所謂アディクションなのか。それともホームシックならぬシアターシックというべきか。今夜から明日にかけては時間が空く。恋人に会いに行くような気持ちで映画館に出向くのだろうな。

そういえば、鎌倉の恋人である大仏さんは元気だろうか。近いうちにこちらも顔を見に行きたい。

続・映画なんて観なくたって生きていける

日常 映画

蒐集癖がある。

 

タバコの銘柄を全部集めようとしたことがあった。いろんな種類のタバコの箱を壁一面に並べたら綺麗だろうなと思ったのだ。

 

好きな作家の本はすべて買いあさって本棚に並べた。好きな漫画家の作品も同様だ。本人の著作でなくても関連する作品は蒐める。雑誌にしてもひとたび気に入ればバックナンバーから揃え始めようとする。そうしたら当時住んでいたアパートの床が歪んだ。

 

革ジャンを20代から30代にかけてほぼ毎年、買い続けていた。子供が生まれてからは経済的な問題からさすがに自粛しているが、たまにウィンドウショッピングはする。

 

ギターもあれやこれやと欲しくなる。無理して買い続けたせいで生活が凌なくなったこともあった。

 

家庭を持つと制約がたくさんできるので、なかなか蒐集欲が満たされることはない。そんな自分の性格を知っている妻は、こちらがどれだけ我慢しているか、多少なりとも理解はしてくれているので、たまに何か小さなものを買って帰ってきてもそれほど怒ることはない。こちらとしても妻の許容範囲は考えている。

 

妻の許してくれることの一つに映画がある。子供が生まれる前はしょっちゅう一緒に観に行っていたし、そもそも初めのデートも映画鑑賞から始まった。

 

映画に関連する仕事への転職を勧めたのも妻だし、未だ転職は実現できていないものの、その仕事に切り替えることは応援し続けてくれている。

 

だから映画に関しては他に比べて比較的寛容だ。

 

そんなわけで、映画鑑賞は唯一、日々連続的に行われている趣味にして蒐集癖を満たす行為だ。さらに勉強半分とか言いつつ3年前からパンフレットを買い始めたので、もとより本がはみ出していた本棚はさらにカオス状態となった。現在、新しく本棚を買い足すまでダンボール箱の中に眠り続けている本たちは、映画パンフレットに家を追い出された悲しい宿無しだ。

 

映画は観なくたって生きていけるが、映画を観に行きたいという衝動と、半ば強制的に映画を観に行かねばという強迫観念と、今年は何本観ることができるかという蒐集癖を満たすカウントアップと、時たま訪れる「この作品を観るために映画館に通っていたんだ!」と思わせる出会いが、やっぱりどうしたって今日も劇場に腰を落ち着かせてしまう理由だ。

 

今年鑑賞した100本のタイトルのうち、特に印象に残ったものを鑑賞順に挙げる。

 

クリード/チャンプを継ぐ男

さらば あぶない刑事

オデッセイ

ルーム

レヴェナント

シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ

ボーダーライン

アイアムアヒーロー

カルテル・ランド

FAKE

エクス・マキナ

シング・ストリート

君の名は。

聲の形

怒り

永い言い訳

エブリバディ・ウォンツ・サム‼︎

この世界の片隅に

湯を沸かすほどの熱い愛

アイ・イン・ザ・スカイ/世界一安全な戦場

 

今の気持ちで並べただけなので、明日には多少変わるかもしれない。作品としての出来云々ではなく、自分にとってより意味のある作品、自分の血肉となった作品が、特にこれら20タイトルだ。

 

映画なんて観なくたって生きていけるし、それこそチケット代、パンフレット代、たまにドリンクとポップコーン代を足すと1回につき3,000円くらいかかってしまうし、何より身体が2時間も拘束されるわけで、見方によっちゃあ金と時間の無駄かもしれない。

 

でも、100本観たら20本、つまり5本に1本は心を突いてくる作品があるわけで、それがわかってしまったらやめられるわけがないではないか。それに、劇場公開時に観るからこそ感じることのできる時代の空気というのは、その瞬間にしか味わえないエッセンスだ。同じ作品でも公開時にリアルタイムで観るのと、DVDになってから観るのとでは、味わい方がまったく違う。どちらが良い悪いではなく、どちらの旨味も知っておくためには、まず公開時に観ておかねば話にならないということだ。

 

そして繰り返すが、今生きているこの時代の空気を自分自身に刻み込みたいのなら、わざわざ劇場に足を運ぶことの価値を軽んじるはずがないのだ。

 

まあそんなふうに言ってはみるものの、単純に「”快”と”楽”があるから映画館に行くんだよ」と言ったほうがわかりやすいし、「なんならそこは”ハレ”の空間、つまりお祭りみたいなものなんだ」と言えば、とりあえずこいつネクラではなさそうだなと思ってもらえるだろう。

夢?

日常

昨晩見た夢。

原因はわからないが(もしくは忘れたが)、大地が津波のように隆起し、大勢の人々が飲み込まれた。自分もその災害に遭い、頭上高く迫り来る土壁に死を受け入れた。

土砂に埋もれていたところを誰かが救出してくれたようで一命は取り留めたものの、家族の安否は不明だった。恐らく亡くなったものだろうと諦めた。

ある建物に生存者たちが集った。何やら生き残るための作戦会議が開かれ、ひとまず地上に降りることに決まった。破壊された非常階段を、途中、外壁からはみ出したパイプを伝いながら、一行は地上へと降りて行った。

街は破壊されており、暴徒と化した人たちの叫び声や影に怯えながら、我々は安全な場所まで裏道を辿っていく。

場面は変わり(または途中を忘れてしまっているだけかも)、山奥への探索チームが組まれた。自分もその中に含まれている。どうやら誰かをまたは何かを探しに行くようだ。その時には亡くなったと思っていた家族は見つかっていて、妻と子供は待合所で待機していた。

命の危険もあるその探索にいざ出発というところで、伝令がやってきて、自分の子供が病に冒されていると言う。取るものも取り敢えず、待合所へと走る。老人と女子供がひしめく待合所で、妻が子供を抱えていた。子供は1歳くらいの娘だった(現実世界では息子だが)。顔を赤くしてうなされている娘の頭を撫でて、過酷な旅に付き合わせて申し訳ないと謝った。

 

そこで目が覚めた。

この話を職場の人に話したら、「映画の観過ぎ」と笑われた。

今月観た映画は、『永い言い訳』『溺れるナイフ』『エブリバディ・ウォンツ・サム‼︎』で、夢との関連性は何もない。先月観たのは、『君の名は。』『聲の形』『イレブン・ミニッツ』『怒り』『レッドタートル』『SCOOP!』『何者』『ハドソン川の奇跡』だ。ここらへんはいろいろ混ざると昨晩見た夢を構成できる。先日の博多駅前道路陥没事故の影響もあるかもしれない。

とにかく寝覚めが悪くて、夢でよかったという気持ちがある一方で、「あっちの世界は今も大変な状態だ」と本気で心配している自分がいた。

後で知ったのだが、日本時間の本日未明、ニュジーランドでM7.8の地震があった。今夜は68年ぶりのスーパームーンだそうだが、2011年3月にもスーパームーンがあった。その前月にはこれまたニュジーランドでM6.1の地震があった。そして日本は3月11日を迎えた。

スーパームーンと大地震との関連性はオカルトの範疇を超えないが、昨晩見た夢が忘れられない。

映画なんて観なくたって生きていける

日常

はじまりは『ダンボ』だった。百貨店の小さなシアターに母親に手を引かれ観に行った。

 

それから家では『ピーターパン』を繰り返し観ていた。

 

きっかけは『パルプ・フィクション』と『カッコーの巣の上で』。映画に魅せられた瞬間だった。そして同じ時期、気まぐれで参加した演劇のクラスで鑑賞課題となった『フック』に後押しをされた。

 

20代の頃、お金がないから映画はレンタルビデオやDVDで消化した。忘れっぽいから、たまに以前観たことのある作品をうっかり借りてしまうこともあった。途中でなんとなく思い出すのだけれど、忘れっぽさが功を奏して最後まで新鮮な気持ちで観ていた。

 

30手前で、映画は映画館で観るにかぎると気づいた。『潜水服は蝶の夢を見る』の鑑賞後にそう思ったのかもしれない。作品世界にどっぷり浸かるには、映画館の閉鎖的な公共空間の方が適していると感じたのだ。

 

それからは時間を見つけて映画館に通うことにした。とりあえずめぼしい作品は映画館で観ることにした。

 

世の映画ファンからしてみれば、自分の年間の鑑賞本数はたかが知れているが、月に6〜8本のペースは保っている。別に映画を観に行くことをノルマにしているのではなく、純粋に気になる作品が毎月それくらいあるということだ。本当はそれでも絞っているわけで、時間が許すのならあと3〜4本は観に行きたい。

 

結婚をしてもその鑑賞ペースは変わらなかった。妻との映画デートは楽しかったし、お互いの好き嫌いや許す許さないのレベル、もっといえば価値観の尺度を知ることができて、非常に興味深かった。

 

子供が生まれた今も、相変わらず映画館に足が向く。とはいえ、妻は子供の面倒があるので単独行動だ。少々負い目は感じるものの、妻に甘えてしまっている。

 

しかし、変化がなかったわけではない。仕事の合間や休日に、いつどこで何を観るかを考えるのがささやかな楽しみだったはずが、いつの間にか子供のことを考えている自分に気がついた。あの子と何をして遊ぼうか、お風呂の時間までに帰れるだろうか、早く顔が見たい。そんなことをぼんやり思っていると、仕事帰りに映画館に寄ることが億劫になる。家族3人でなんでもない時間をのんびり過ごしたい。その一方で、あれも観たいこれも観たいという欲求が頭をもたげてくる。葛藤だ。

 

1年ほど前、なんでこんなに映画を観ないと気が済まないんだ?と考えてみた。演じるということや創作に対する憧れや、映画館という非日常的空間における癒しなど、いくつか思い当たることはあるが、もっとズバリな理由があるはずだ。ドラマ、SF、サスペンス、コメディ、ホラー、ドキュメンタリー、ロマンスと、ジャンルを問わず観ている理由があるはずだ。

 

映画が自分に与えてくれるもの。今年はその正体を見定めるために映画館に足を運んでいる。いや、かっこつけすぎた。観たい欲求に駆られたついでに、映画の魅力を考えているというべきだ。

 

さて、なんだろう?

幸せの尺度

日常

2016年度も上半期がもうすぐ終わる。会社のほうは人事異動もあり、職場の体制も変わる。自分の計画とは裏腹に、役職が上がり続けているこの数年。辞めどきがいよいよなくなってきた。子供が生まれたこともあり、それはそれでいいのかなとも思う。

手狭になってきたので引越しをすることにした。もともと自分の持ち物が多いうえに子供の物が増えて、この部屋では暮らすことができなくなった。妻の持ち物は相変わらず少ないのだが。結婚してから5年間過ごしたこの部屋やこの土地に名残惜しさはあるが、次のステップに移る時期だ。いろんな意味で新しい生活がこれから始まる。 

妻と息子と猫との共同生活になんら変わることはない。ただ自分を取り巻く環境が変化するだけだ。

今の仕事にはプライドを持てている。面白みも当然ある。一緒に働きたい仲間もいる。本当にやりたい仕事もあるが、それも新居に移ればスローペースではあっても始められそうだ。

 幸せを測る尺度は人それぞれだが、自分は幸せであると自信を持って言える。それは家族や友人、上司や部下への感謝の気持ちとイコールだ。

何が最善の選択か。人生はそうそう計画通りに進めることはできないが、その都度選択肢があることは幸せなことだと思う。今この手に握りしめている確かなものを大事に育てていけば、ゆくゆくはそれが新しい何かにつながり、自分の咲かせたい花が咲くだろう。

引越しの準備をしながら、ふとそんなことを思った。

who will save your soul

日常

靖国参拝

人生は草露の如し。

 

生きるのは誰がために。

自分の魂を最後に救うのは心の中の神=自分自身なのかもしれない。

 

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