2019 day12

前月の締め作業に加えて、来週に向けた資料作成と四方八方からの度重なる打ち合わせをこなしながら、水木金の参加せざるを得ない三連チャンの飲み会(=仕事)を経て、ようやく週末。

今日は午前中の用事を済ませた後、昼飯を食べてから家族三人で寝室でごろごろ。そのまま昼寝に突入し、気付けば夜になっていた。いやぁ、よく寝た。

木曜日と金曜日は日中から眠気に襲われることが何度もあったので、今週はだいぶ体力を消耗していたのだろう。爆睡だった。

いろいろ立て込んでいた今週。仕事においては、客先が通常ではあり得ない動き方をしているので、今までにないくらい振り回されていることもあるし、プライベートでも月曜日の小児科の件が衝撃的で、自分の頭と心の整理以上に妻のフォローが大変だったこともある。

人間の処理能力の限界値を感じた一週間だった。そりゃ毎晩変な夢も見るし、仕事中に眠くもなるさ。

今週はぎりぎり乗り切ったが、同様に来週は来週で時間に隙間のないほど忙しくなることはわかっているから、三連休中もうっかりすると仕事のことをアレコレ考えてしまうので、完全にまったりのんびりというわけにもいかない。それはそれで仕方ないのだが。

さて、これから遅い夕飯。初雪が都心で観測されたらしいが、本格的に寒さが増してきた。温かいものを食べて、風呂に入って、映画かドラマでも観てから寝よう。でも最近夜更かし体質ではなくなってきたので、風呂から上がった頃にはまた睡魔がニョキッと現れるかも。いったいどんだけ寝るんだ?今の睡眠欲、思春期級。

2019 day6

今年初ラン。近所を走って軽く汗を流した。年末年始はサボっていたからおよそ2週間ぶりのランだ。

河川敷まで行ったら、毎月恒例のマラソン大会に遭遇。少しだけ参加者たちと並走した。冬の空気がピリッとして気持ち良い。

2週間のブランクのせいか、体力的にはまだ行けたが気分がついて来ず、10キロの予定だったところを6.5キロで終了した。駅周辺をぶらついてクールダウン。左膝に少しだけ違和感があるのもブランクのせいか?やはり続けるべきものは続けなければ。

家に着き、帰りがけに買ったヒレカツサンドで遅めの朝食を取る。その後はのんびり湯船に浸かって、音楽を流しながらiPadで読書。

あー、これ。この風呂での読書タイムがご褒美なのだ。ご褒美として享受する為にはワークアウトが必要で、ランは半ばその為にやっていると言ってもいいかもしれない。やっているうちにだんだんそうなってきた。手段と目的と報酬がぐるっと入れ替わる。そういうもんだろう。

2019 day3

出かける支度を先に済ませた息子と二人で、玄関先に突っ立っていた。正月セールに行きたいと言ったのは妻のほうだけど、当の本人はもう少し準備に時間がかかるらしい。

ふと息子を見るとポストの投入口に手を突っ込んで遊んでいる。ポストの蓋がカチャンカチャンと繰り返し鳴り続ける。

家の壁と隣家のブロック塀の間からこぼれてくる陽だまりに誘われて、息子のことは玄関に置き去りに、そのまま名ばかりの裏庭のほうへ回り込んだ。全然使っていない借家の裏庭は、久しぶりに外側から見るとほんの少しだけ新鮮だった。

すると、目に留まるものがあった。雑草と室外機と外壁の他には何もないこの裏庭風景に、一点だけ、溶け込むようにそっとそこにあるもの。

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あのオモチャどこに行ったんだろうシリーズのうちの一つ。バス。ちょっと馴染んでる。

2019 day2

寝正月二日目の夜。

テレビに小梅太夫が出てきた瞬間、それまで一緒にテレビを観ていた二歳半の息子がさっと立ち上がり妻の後ろに隠れた。妻の背中越しに小梅太夫を覗き見ている。確かに幼児にとってはこの妙竹林な出で立ちと素っ頓狂な声はホラーでしかないだろう。恐る恐るテレビを見つめる息子の顔を見て、自分の幼少期を思い返し納得した。

正月休み中にハマって読んでいるのは『僕たちがやりました』。iPadで7巻まで進んだ。途中で暗い気持ちになるので、『グラゼニ』を何度か間に挟む。

溜まってるメルマガや映画はまだ消化できていない。ダラダラ過ごすのが目的のこの正月休みだったが、満足いくまでダラダラするには時間が足りない。

大阪の空気

大阪出張。公私ともに初の大阪。

新幹線を降りてすぐに気づいたのは、空気が東京とは違うこと。なんというか、軽い。今年の花粉はここ数年のうちで特にひどく、頭痛や咳、強い倦怠感、あげくに声が出なくなるという目にあっているが、大阪に着いた途端、鼻のムズムズが和らぎ、ボーッとしていた頭もシャキッとした。明らかに空気が澄んでいるのだ。

アレルギー症状が緩和されたのは、スギ花粉や排気ガスが東京に比べて少ないということだと思うのだけれど、空気の軽さはそれらに加えて人が吐き出す二酸化炭素の量が圧倒的に少ないーーというか東京が多すぎるーーのだと思う。絶対そうだ。東京駅と新大阪駅は見た目にも人の数が違うし、街中も同様に違う。双方の都市の混雑を表現するにあたって、大阪は「混んでいる」、東京の場合は「超過密」といった感じ。あと匂いもやっぱり違う。東京のほうがくさい。

まあ、そういうわけで、大阪での一泊二日は非常に快適に過ごせた。

初日の夜は客先と懇親会、そのあと二次会。さらに社内だけで三次会へなだれ込み、26時まで呑んだ。あー、よく呑んだ。

二日目も朝から仕事して、ちょっと早めに退勤。せっかくだからプチ観光をしたかったのだ。

始めは梅田へ。大阪駅前第三ビル地下の梅田はがくれでうどんを食べた。生じょうゆと、半熟玉子とちくわの天ぷらを注文。店主のおいちゃんが食し方を教えてくれる。

「まず玉子を食べてみ。外は熱いけど、中は冷たいからな。シャツ汚さんように縁持って食べ」

「うどんは二本挟んですくってみ。讃岐うどんみたいに混ぜたらあかんで。二本すくって上まで上げる。もっと高く。そして一気にすする。美味しいやろ」

「ちくわもふわふわや。お好みでしょうゆ少し垂らしてもええけどな。味はついてるからそのままでも美味しいで。関東は塩分取りすぎやからな」

関西弁とおいさんのキャラで細かい指示も全然イヤじゃない。むしろ楽しかった。そしてほんとに美味しかった。また来てみたい店だ。

はがくれを出て、そのまま御堂筋線で北新地へ。北新地から道頓堀に向かう途中は、さながら中野ブロードウェイ。人口密度は原宿並み。平日の昼間だというのに酷い混雑だった。人混みをかき分けて道頓堀に到着。くくるでたこ焼き。イートインは時間がかかりそうだったので、持ち帰りの列に並ぶ。6個入りを買った。川を眺めながらハフハフモグモグ。キャッチフレーズどおり、フワッ、トロッ、だった。ソースも薄口で食べやすい。素材の味を感じることができた。

ふたたび御堂筋線に乗り、最後は新大阪駅551蓬莱へ。時間がだいぶおしていたので、新幹線のチケットを50分後ろ倒しに変更。551では豚まんと焼売のセットをお土産に購入。ホッと一息、コーヒーを飲みながら一服した。

ここまでで3時間弱。プチ観光成功。充実感を持って帰路に着いた。

大阪の街を歩いていて思ったのは、繰り返しになるけど東京より空気が軽いということ、そして、女の子が可愛いということだった。ちなみに、同行していた人は女の子については同意、空気については花粉症ではないからいまいちピンとこなかったようだが、東京に戻った瞬間、納得したそうだ。

春は苦手だから

よく春になるとラリパッパが蠢きだすというが、確かに子供の頃から春先にそういう天然系の人たちをよく目にしていたような気はする。

かくいう自分も、桜の蕾ができる前後くらいになると無性に身体と心がムズムズして気持ち悪いという感覚がランドセルを背負ってる頃からあったわけだが、それはきっと3月4月が卒業、入学、学年が上がるシーズンだということが大いに関係していたに違いない。学生にとっては、不安と期待と寂しさが入り乱れて精神的に不安定になりやすい時期なのだと思う。

社会人になったらなったで、年度末の繁忙から新年度を迎える慌しさに翻弄され、さらに人事に肝を冷やし頭を悩まされ、これまた憂鬱な気分が首をもたげてくるわけだ。

学校にも会社にも属していない時期もあったが、やはりそれでも社会の営みに巻き込まれることは避け難く、例えば4月になると朝夕の電車の混雑率が何割か増していたり、役所がらみの収めものがあったり、会社に属していないからこそ感じるおいてけぼり感に突き放されたり、とにかくこの春という季節、さらに限定すれば3月から4月にかけては、眉間のシワを深く刻む頻度が高まるばかりで、精神的に非常に落ち込みやすくなるのだ。

付け加えれば、前述のように何かしらの理由が説明できるならまだしも、これといって言葉にできるほどの理由が見つからないまま情緒不安定になることが多々ある。意味もなく心がフワフワと落ち着きなく漂い始め、それが微風に煽られているシャボン玉のように割れそうで割れない落ちそうで落ちない、如何ともし難い飼い殺しにされているような気分が、24時間のうち18時間くらいを占めるという、いわば季節による理由なき反抗を食らっているわけである。

そこにきて、10年ほど前からは花粉症に悩まされるようにもなり、本当に春は、殊更3月4月は、一年の中で最も忌むべき時期なのだ、といったら春が可哀想だろうか。いや、5月は好きなんだ。5月は12ヶ月の中でベスト3に入る月だから、それでなんとか帳尻を合わせようか、春。

そういうわけで、外にいるよりは内にいるほうが良く、動いているよりは静かに過ごすほうが楽なので、本来なら長期休暇を取って家でもそもそしていたいところだが、現実はそれを許してくれない。それならそれで対症療法でも施さないと、心と身体が病んでしまう。

ダウナーな気分を解放(介抱)するために、せめてできること。苦くない良薬。ほんの短時間、この世界とつながっている別の世界に旅をする。

そう、春を言い訳に映画館に引きこもることにした。 

映画館のように、公にいながら個の空間が保たれる暗い場所は他にはプラネタリウムか土管の中くらいだろうか。映画の世界にトリップしている約2時間の間は、完全にこの世のしがらみを遮断できる。本当に良い逃げ場だ。否、良い保養地だ。

ちなみにこのような言い訳は季節ごとに用意している。夏なら暑さ、秋なら夏の名残の侘しさ、冬なら寒さをそれぞれ言い訳にして、映画館に身を隠すという寸法だ。

そんなに映画館にいたいならいっそのこと映画館で働けばいいじゃないか、という意見には耳を貸さない。あくまでもサービスを享受する側でいたいのだ。好きなことを仕事にしてしまうと、それまで知りもしなかったことや気にも留めなかったことが苦痛になることだってある。経営者ならまた面白味もあろうが、そうなると趣旨がどんどんずれてくる。ただ映画館で映画を観ながら膝を抱えて親指を噛んでいたいだけなのだ。ちょっとした逃避行を味わいたいだけなのだ。

これは一体誰に釈明しているのだろう?

シアターシック

本来は昨年6月終了予定だった業務が延長に延長を重ね、先週1月6日(金)にようやく完遂した。自分史的にも職場的にもだいぶ大きなウェイトを占める業務だっただけに、感無量を実感した。

そんな感傷に浸る暇もなく新年が始まり続々と案件が舞い込む中、ひとまずは年始の繁忙を乗り越えほっと一息をついてみたものの、今年に入ってまだ1本しか映画を鑑賞していないことに気づく。

映画を観ずとも生きていけることには間違いないが、人生に物足りなさを感じるのは否めない。

最近、人から映画の話を振られる機会が多く、ある人はIMAXで『君の名は。』を観るというし、ある人は自分の薦めた『アイ・イン・ザ・スカイ』を観に行った感想を聞かせてくれるし、ある人は『この世界の片隅に』をようやく観に行くとウキウキしながら教えてくれるし、そんな話をするたびにふと映画館が恋しくなっていることを自覚する。

ああ、これは所謂アディクションなのか。それともホームシックならぬシアターシックというべきか。今夜から明日にかけては時間が空く。恋人に会いに行くような気持ちで映画館に出向くのだろうな。

そういえば、鎌倉の恋人である大仏さんは元気だろうか。近いうちにこちらも顔を見に行きたい。