2020 day13

昨日の曇天模様とは打って変わって、今日は快晴。実は7時くらいから目を覚ましていたが、昨日の夜が遅かったからどうせ妻も息子も起きないだろうと、スマホをいじったりウトウトしたりして2時間くらい布団の中で過ごした。そのうち息子も起き出しこちらの顔を覗き込んできたので、そろそろ起きるかとカーテンを開けた。

いい青空。

妻の目を覚ます為、音楽をかけた。息子がよく自分に対してやるように、妻の横に寝転がり、妻の寝顔から10センチの距離に顔を置いた。流している音楽の一曲目が終わる頃に妻は目を開いた。そして、目の前に自分を見ている顔があることに驚き、頭だけ飛び跳ねた。想像していた以上の驚き方だった。

そうしてようやく今日が始まった。

遅めの朝食を取って支度して、家族3人で昼過ぎに家を出た。13時半くらいに国立代々木競技場第一体育館に着いた。今日は待ちに待ったバービーボーイズのライヴの日。しかも、息子が生まれてからは滅多にない、夫婦ふたりでライヴを観る日なのだ。

開場前なので、入り口付近はまだそれほど混んでいない。体育館のほうからはリハーサルの音が漏れ聞こえてきた。テンションが少しずつ上がり始める。

入り口前には展示スペースがあったり、グッズ売り場があったり、ガチャがあったり。早めに来た人たちはさっそく盛り上がっている。我々もその輪の中に。

息子は何か楽しそうな匂いを感じたようで、あちこち動き回り落ち着かない。最終的にはまだ線が張られている入り口を突破して会場の中に入ろうとした。他のもので気を引かねば。息子の腕を掴み、あっちにおもしろいのあるよ、と言ってガチャの前まで連れて行き列に並んだ。息子はガチャが大好きなので、巨大なガチャマシーンを目の前にして目を光らせる。一回500円のガチャを息子に3回まわさせた。その後も、まだまわしたがる息子とお目当のものを当てたい父とは、性懲りもなく何度もガチャをまわすのだった。

けっきょく欲しかったものは引けなかったが、息子はガチャをたくさんまわせて満足したようだ。8回まわしてかぶったアイテムはひとつだけ。四角くて薄っぺらい。表には、まかせてトゥナイト、と書かれてある。初期のナンバーの曲名だ。昨年末にやっていたこのバンドのラジオ番組のタイトルにもなっていた。ステッカーかな?妻と一個ずつ手に取り触ってみる。内側に丸い輪郭がある。ヌルッとした感触。「これ、コンドームじゃない⁉︎」妻が叫んだ。ほんとだ。この感触、この大きさ。コンドームに違いない。表に書いてあるロゴ、もう一度よく見たら、いかせてトゥナイト、と書いてあった。おいおい、、、ふたりで笑い転げた。グッズにコンドームを仕込むなんて、さすが変態バンドだ。

「ファンの年齢層高いから、誰も使い道ないでしょう(笑)」と割と失礼なことを妻がデカい声で言っているのでヒヤヒヤする。

ミニチュア模型の展示コーナーに寄ったり予約していたグッズを受け取ったりしてから、お昼を食べに竹下通りへ向かった。ウルフギャング・パック・エクスプレスで、ハンバーガーとピザを食べた。見た目に反して味が濃くないので食べやすかった。ポテトも塩分少なめで子供にも安心して食べさせられる。

隣のテーブルには我々と同じくバンドTシャツを着込んだファンの女性グループがいて、これからのライヴの話で盛り上がっているらしい。妻はそういうのを盗み聞きしてニヤニヤする習性があり、どんなことを言っていたのかちょいちょいこちらに教えてくれる。

ウルフギャングでくつろいでいたのも束の間、開場の時間が近づいてきたので、店を出てふたたび第一体育館に向かった。先ほどとは違い、今度は人がごった返している。人の波に吸い込まれながら入り口を通過して、場内に入った。オリンピックのときはもっと大変なんだろうね。来たくないね。チケット当たらなかったからどうせ来ないけど。家で観てるほうが気楽でいいや。そんな会話をしながら先へ進む。

人の波を泳いで階段を下りて、息子を預ける託児所の前にたどり着いた。事前に予約していたのだ。名前を行って息子と荷物を預ける。中には既に何人か子供たちがいてオモチャで遊んでいた。それを見て息子は笑顔で部屋に入り靴を脱いだ。妻は寂しがりやしないかずっと心配していたが、まったくの杞憂だった。息子はバイバイと手を振って部屋の中に消えていった。

妻とふたりでスタンド席に向かう。久しぶりのふたりきりのデート。こういう時間もいいものだ。席についてから30分くらいして、17時過ぎ、ようやく客電が落ち、ライヴが始まった。妻はバンドのことをあまり知らないけれど、ニヤニヤしながら手を突き上げていて、そんな姿を見るのがおもしろい。ニコニコではなく、ニヤニヤ。妻の笑顔を昔から自分はそう表現している。

ライヴ中も息子のことを思い出し気にはなったが、ふたりで腕を振ったり肩を組んだり跳んだりして、ライヴを満喫した。

終演後、出口に流れていく人の波に抗いながら、託児所のある地下へと向かう。息子はどうしているだろうか。もういい加減ぐずってはいやしないか。ドアが開き、息子の姿が見えた。車の遊びに熱中している。やはり心配は杞憂だった。呼ばれて出てきた息子はご機嫌だった。偉かったね、息子。

うちと同じように男の子を迎えにきたお母さんが、自分たちの前を歩いていた。その男の子は息子よりも二つ三つ歳上のようだった。その子がくるっと振り返り、息子に向かって、バイバイ、と言った。どうやら託児所で息子と遊んでくれたらしい。息子も小さくバイバイをした。

やはり早く集団生活に馴染ませたい。幼稚園に入れたい。息子、意外とやっていけるんじゃないか。どこか受け入れてくれないだろうか。

表に出るとすっかり夜。冷気が火照った身体を包み込んだ。少し大きめのリュックを背負って、息子はずんずんひとりで進んでいく。どこに行く気なのか。たまにこちらを振り向き、ニヤッとして、また進む。まだ人が屯しているライヴ会場の入り口付近、息子の青いリュックがキラキラして見えた。

2020 day12

結婚してから息子が生まれるまで住んでいた街を、家族3人で歩いた。懐かしのマンションの前を通り、「君が生まれた家だよ」と教えてあげた。

クリーニング屋のおばちゃんは別の人に代わっていた。接客満点の薬局は別の薬局に変わっていた。暇そうなアメカジ洋服屋は徒歩数十秒の距離に移転していた。マンションの前の歩道は自転車の駐輪スペースがなくなり広くなっていた。

わずか数年で移りゆく街並み。それでも漂う雰囲気は変わっていない。懐かしい。またここに住みたい。

息子が赤ん坊の頃にベビーカーに乗せてよく歩いた通りを3人で散歩した。通り沿いにある公園で息子を遊ばせた。子供たちが、寒風の中、元気に動き回っている。息子はその輪の中に走って行った。その後ろ姿を見て、なんとなく成長を感じるのだった。

2019 day365

一年の最後の日だから、今年の良い思い出だけを記そう。

 

1月。家族3人で行ったアスレチック公園。みんな泥だらけになって遊んだ。寒さよりも楽しいほうが勝って、夕方近くまで遊んだ。帰りは焼肉を食べて帰った。顔も服の中も、砂と泥にまみれてた。

 

2月。家族3人で明治神宮にお参りに行った。空気が静かに澄んでいて、気持ちが清められた。

そうそう、『女王陛下のお気に入り』を鑑賞したのも2月だった。今年のベスト。

 

3月。友人宅でタコパ。子供たちが楽しそうにしていた。うちの子は水の中に落っこちて、足元がびしょ濡れに。豊洲の良い景色を眺めながら食べるたこ焼きの味は、たこ焼き以外のなにものでもなかった。

 

4月。家族で鎌倉へ。朝から出かけて、朝食は鎌倉のおしゃれな店でブリオッシュを。久しぶりにお会いした鎌倉の大仏さんは、優しく美しいお顔で迎えてくださった。息子は大仏さんとは初対面だった。

そうそう、『アベンジャーズ エンドゲーム』を鑑賞したのも4月だった。大団円!

 

5月。息子の療育施設通いが始まった。とても良い施設、とても良い先生方と巡り会えた。息子もすぐに馴染んで楽しく通えている。お友達もできた。妻にも新しいママ友ができた。

同じく5月。プラレール博に親子共々大興奮。ジオラマすごかった。あと、水遊びもたくさんした。海にも行ったし、アスレチック公園の池でも水浴びした。

 

6月。夕方から思いつきでふらっとディズニーは楽しかった。突然降ってきたイベント感に、妻も自分も興奮したし、もちろん息子ははしゃいでた。

友人と2人で行ったゴルフは、誰に気を使う必要もなくのんびりできて楽しかった。

 

7月。今度は計画的に朝からディズニー。ドナルドと写真が撮れてみんなハッピー。

別の日には、家族で海ほたるドライブ。同じTシャツで親子コーデを楽しんだ。

そうそう、『トイストーリー4』を鑑賞したのも7月だった。哀愁漂うセカンドライフ

 

8月。まずはなんといっても妻の誕生日に横浜ドライブデート。赤レンガ倉庫で記念写真。息子も遊べる砂場(というか人工のビーチ)があったりハンモックがあったり、楽しかった。夕方は、ベトナムのランタンナイトで色とりどりのランタンを楽しみ、夜はレインボーブリッジを往復して夜景を見せてあげた。綺麗だったな。妻はとても喜んでくれた。

同じく8月。リュウソウジャーのヒーローショーを観にシアターGロッソへ。息子は生で見るリュウソウジャーに釘付け。握手もしてもらって、いったいどんな気持ちだったんだろう?息子の真剣な眼差しが忘れられない。

 

9月。通い慣れてきたスイミング。息子も飛び込みが板についてきた。こちらの掛け声に合わせて、臆せず水に飛び込めるようになった。毎週土曜日、息子と一緒にスイミングに行くのが楽しみになった。

それから、来年1月のバービーボーイズ国立代々木競技場第一体育館ライヴに当選。

 

10月。20年来の親友たちと数年ぶりに呑んだ。皆それぞれの人生を歩んではいるが、会えば昔と変わらず、短いが大切な時間を過ごした。

バービーボーイズのラジオが期間限定で始まった。毎週金曜の楽しみに。1週間仕事をがんばったご褒美に帰りの電車で聴く。

そして、バービーボーイズとOKAMOTO'Sのツーマンライヴ@豊洲PIT。バンドとしてのブランクを感じさせないバービーボーイズは流石だが、対バンのOKAMOTO'Sの堂々としたヤンチャ感、そしてなんといっても可愛げに、ますますOKAMOTO'Sが好きになった。

そうそう、『ジョーカー』を鑑賞したのも10月だった。

 

11月。テレビに映したYouTube動画に合わせて、息子が踊った。お気に入りはフーリンの『パプリカ』とDA PUMPの『U.S.A.』だ。息子の可愛さと成長っぷりに涙を流しながら笑った。

それから、バービーボーイズの29年ぶりの新譜が一曲だけ先行配信開始。夜中に寝床でイヤホンつけてリピートする。やってることは十代の頃と変わりゃしない。あと、ラジオでメールが読まれた。

 

12月。シアターGロッソにてリュウソウジャーふたたび。今度は本物(変身前の姿の俳優さんたち)も出てきて、息子だけでなくパパもママも大興奮。妻はお気に入りのバンバを恥ずかしくてあまり見られなかったらしい。自分はコウもアスナちゃんもガンガン見たが、二列目だというのに全く目が合わなかった。膝の上の息子はずっと真剣な表情。

息子がスイミングでブクブクができるようになった。水面に顔をつけるのは嫌がっていた息子が、ついに口をつけてブクブクができた。頭を撫でて褒めてやると、得意げにブクブクを繰り返した。

それから、バービーボーイズの29年ぶりの新譜CDが発売された。いまみちソロの名曲も入っている。コーラスが美しいので息子にもこっそり聴かせてあげる。

 

こうして振り返ると、けっこう良い思い出があるじゃないか。趣味の時間は失速したが、せめて家族との時間が持てたのは幸福だ。今夜は、ぐうたらの妻が茹でた蕎麦をすすりながら、紅白を観るのだろうな。そういう平凡な年の瀬を送れることが、どれほど幸せなことか。

2019 day338-2

怒り、ふたつめ。

ひとつめは家庭の話で、ふたつめは仕事の話。

客先との契約内容が変わってから、今期の第1Qは低採算の状態が続いた。当然だ。見積の時点でわかっていたことだが、採算の取れない構造なのだ。明らかに取りっぱぐれになっている売上がある。会社の求める利益を出そうと思ったら、客先に求められる業務品質など担保できない。あちらを立てればこちらが立たず。

それでも下期のセレクションに向けて、業務実績重視で運営することを会社に説明し了解を得た。取りっぱぐれの部分は客先と交渉を繰り返し、ようやく要望の一部は通すことができた。それでなんとか赤字だけは出さずに繋いだ第1Qだった。

7月に入り、下期の業務継続が知らされた。これにより、会社からは収支改善の命令が下った。まず、根幹となる業務の運営方法をドラスティックに変えた。業務実績が落ちるのではないかと方々から不安の声が上がったが、結果として実績の落ち幅は少なく、原価圧縮に成功した。収支は見られる数字まで回復した。

しかし、それでも原価が重い。

同時期に、他の複数の事業所で人員補充が必要との報せが入った。自分含め、事業所の責任者たちが本社に集められ、会議が開かれた。

自分の作成した下期の見積では、会社の予算達成ラインには遠く及ばない。予算に達しない業務は整理対象となる。事業所が無くなることだけは避けなければならない。

一方、他の事業所では人材を求めている。

上司から、人を出すよう指示が下った。予算達成ラインに届く範囲まで人を削ることが、第2Qの最後に自分に課せられた使命となった。

このあたりのことは、以前にブログに記した。とにかく身を削る思いだった。当然職場ではハレーションが起きた。もちろん、業務量の減り幅に合わせて人員削減案を描いたのだが、組織の仕組みを変える前に人を減らしたので、単純に仕事がきつくなった。会社は事あるごとに働きかた改革という言葉だけ持ち出し、何をしてくれるわけでもないのに残業削減を吠え続けた。残業の多い自分の事業所は以前から目をつけられていたので、相当たたかれた。しかし、部下にはそのままストレートに落とすわけにはいかない。ただでさえ人員削減でハレーションが起きているのだ。会社と現場との調整に苦労する日々。

ハレーションは今も続いている。想定以上に辞めていく人間も出た。残ったメンバーだけが報われない不健全な運営体制になった。

ほんの一年前までは、エリア内で売上・粗利ともに長年トップの業績を誇っていたが、今や規模は二番手、しかも一位に大きく差をつけられての二番手、そして収支面では完全にお荷物となってしまった。

それでもみんな苦しみながらきりきり舞いで仕事をしてくれている。個々のパフォーマンスがこちらの求めるレベルかといえば決してそうではなく、まだやれることはあるだろうとは思うのだが、今のこの状況下で、不満や愚痴や悪態をつきながらも、必死に試行錯誤してやってくれているだけで感謝したい。

しかしいよいよ限界が近づいていることもわかっていた。自分自身も既に限界は超えている。部下の仕事も巻き取り、複数の客先を相手に日次・週次・月次の定例会に臨み、管理業務もこなしながら、その他の社内外の打ち合わせやら資料作りやらプレゼンやら何やら。業務メールをチェックするのが半日遅れになり、ひどいときは1日遅れになることも。

そして、この日。部下のひとりが、自分を飛び越えて自分の上司に、このままじゃ崩壊すると訴えた。彼は、仕事のパフォーマンスはある部分では突出していて頼り甲斐はあるが、ネガティブな思考と発言に傾きやすい性格でもあった。その点において、彼が彼の役職に求められる役割は全うできていないというのが、特にこの一年の彼に対する評価だった。

年内にまた人が辞める、と彼は上司に言った。このままでは3月までもたない、芋づる式に他にも辞める人が出てきてしまう。業務負荷を減らすために、新しく人を雇わないんですか?

上司も、この事業所のメンバーが、体力的にも精神的にも疲弊していることは知っていた。だから感情が動いた。

上司が自分に言った。

「人を入れてほしい。いや、入れよう。入れていいよ。会社は俺が説得する」

ありがとうございますと言うべきだったのだろうか?

否、自分はその言葉に怒りしか感じなかった。じゃあこの3ヶ月、苦しんできたのはなんだったのだろうか?運営のありかたを変える。もっともっとドラスティックな方法を考える。でも、今は誰も考える余裕すらない。だから今は採算度外視で人を充足させ、余裕を持たせた状態で方法を探ろう。それからまた原価を抑えていけばいい。

その考え方は理解できる。だったら、始めから、あの9月にハレーション覚悟で人を減らしたのはなんだったのか?チーム編成を変え、動きかたも変える、人を減らしてそういうプランを作りここまでやってきた苦労は、なんだったのか?順番が逆ではないか?人を減らすのはもう少し先ではダメなのかというのは、始めから訴えていたことだ。

自分に語りかける上司のほうを向くことができなかった。顔を見たら大声で怒鳴ってしまいそうだったからだ。

もう定時を回っていたし、帰って妻の話を聞いてやらねばならないので、早く帰りたかった。

「検討します」とだけ言い、そのまま退社した。

 

帰宅し、妻の話の続きを聞いた。例の女医の対応のことで、また激しく腹が立った。仕事のことでも怒りは収まっていなかった。

この怒りを今すぐどこかにぶつけたい。

そしてこの記事を書いている。

本当はもっと楽しいことを書きたいものだ。この話はこれでおしまい。

2019 day338-1

怒り。

今すぐどこかにぶちまけないと。もう辛抱ならない。こんなに我慢できないほどの怒りが、しかも同じ日に別々のことで二度も。なかなかあることではない。普段から感じる怒りとは度合いが違い、涙を流しながら怒鳴りつけたくなる怒りだ。本当に今日はよく堪えた。二度も。

ひとつめ。

昼過ぎの客先との打ち合わせの直前、上着の胸ポケットで震えていたスマホが気になったので、執務室から出て缶コーヒーを買い、スマホケースを開いた。震えていた長さから電話の着信だとわかっていた。きっと妻だと思った。案の定、不在着信欄に妻の名前があった。

廊下の隅っこで缶コーヒーのプルトップを開け、妻にかけ直した。すぐに電話に出た妻の声は暗かった。不機嫌なのか。怒るようなことをしたかな?話を聞いてみる。

息子は、待機児童で保育園に入れないまま今年3歳になった。来年度から幼稚園に通わせたいのだが、まだ入園先が決まっていない。ことばの発達が遅かったので、2歳のときから発達支援センターに入れて様子を見ていた。そしてちょうど1年くらい前、その発達支援センターで発達検査を行った結果、自閉症の疑いを告げられた。紹介された小児科に妻と息子と3人で赴いた。

先生、発達検査のスコアが◯点で、検査者からは自閉症と言われたのですが、どうなんでしょうか?この子はこういうことが苦手です。こういう遊び方をします。こういうことが得意です。これはできます。これはできません。

その女医は、一度うちの息子を抱き上げ、そのあとは5分くらい我々親の話を聞き、まあ自閉症というよりも精神遅滞、つまり知的障害のほうが大きいですね。検査のスコア的に中等度の知的障害です。

思いがけないその診断に、妻はショックを隠せず、自分は呆然とした。クリニックを出て駅までの夜道。滅多に涙を見せることのない妻が泣いた。結婚する前、喧嘩したときに一度、結婚後、妻の祖母が亡くなったときに一度。そしてこのとき。付き合い始めから9年経って、三度目の涙を見た。妻の涙を見るのは辛い。とても辛い。このことは、以前このブログに記した。

話を戻すが、そんなわけで息子は今年から療育支援施設に通わせている。とても良い環境で、そこの先生たちには感謝している。息子は楽しんでいるようだし、妻もママ友ができて、有意義な時間を過ごせている。

さて、3年保育は息子にとって重要だ。もう1年間だけ療育に通わせてその次の年から2年保育という手もあるが、できれば1日でも早く集団生活に馴染ませたい。だから、まだ発話は2歳児レベルにも達していないが、幼稚園の面接にチャレンジすることにした。

もともとプレで週一通っていた幼稚園からは、自閉症スペクトラムと診断されていることを妻が伝えた瞬間、掌を返すように、そして遠回しな言い方で、退園するように促された。あの園長には自分もお父さんDAYのときに失礼な対応をされたことがあったので、その話を妻から聞かされたときは、辞めてよし!と即決した。どうせ続けていても、嫌な顔をされることになるだろうから、辞めるほか選択肢はなかった。

プレの優先枠を失った為、ただでさえことばの遅れがあるのに、ますます我々は苦境に立たされた。今年から定期的に通っている世田谷の病院の医師も(とても良い先生)、療育の先生たちも、幼稚園にはきちんと状態を伝えておかないと、息子が入園してから苦労するとアドバイスをくれていた。妻はそれに従い、入園希望先の幼稚園に片っ端から連絡を入れ、時には訪問して相談をした。取り寄せた資料をふたりで読んで息子に合っていそうなところを探し、ようやく一箇所に絞り込んだ。面談日はどの幼稚園も10月25日で、一箇所に絞り込む必要があったのだ。

面談当日は傘など意味を成さないほどの土砂降りだった。子供だけの面談と親子面談を経て、夕方の結果発表を待った。時間になりホームページを確認した。息子の受験番号はそこにはなかった。

とても落ち込んだ。両親に囲まれてニコニコしている息子の頭を撫でながら、とても悲しい気持ちになった。息子は成長している。理解度は進んでいるし、活発で運動が大好きだ。ただ、発話が遅れている。とてもいい子だ。

その後も、この1ヶ月、まだ入園を募集している幼稚園を探し続けた。妻は、必死に方々に連絡を入れ資料を取り寄せ訪問にも行った。その苦労を自分はよく知っている。その不安も自分はよく知っている。悲しみも。悔しさも。

そして、一箇所、息子の状態を説明したうえで面談のOKを出してくれたところが見つかった。私立なので値は張るが、環境も家からの距離も理想的だったので、そこを受験することに決めた。

面接日は今週の木曜日、つまり明日だ。受験するにあたって息子の診断書が必要とのことだったので、今日、妻は1年前に行った小児クリニックへ息子を連れて行った。息子を自閉症だけでなく知的障害と診断した女医のところだ。今日の妻からの不在着信は、その結果を自分に伝える連絡だった。

開口一番不機嫌な妻の声が、次の瞬間、泣き声に変わった。女医は診断書を出すことを拒否したそうだ。女医が言うには、息子は幼稚園を受けるレベルに達していないから診断書は無意味、だそうだ。息子が女医のデスクの上に置いてある注射器を触った。触っちゃダメだよ、と言われたが、息子はもう一度触った。ほら、ダメってことわかってないでしょ?ダメって言ってもやるんだから、幼稚園は無理です。そう女医は言ったそうだ。息子がどんな気持ちでどんな顔をして注射器を触ったのか、すぐに想像がついた。ダメと言われてもいたずら心でわざと触る。相手の反応を見ながらニヤニヤ顔で触ったのだろう。3歳にもなってそんなことをしてしまう息子は、幼稚園に入れてはいけないのだそうだ。障害児向けの施設に入れるようにと、その女医は押しつけてきた。トイレがひとりで行けないのも幼稚園レベルではないそうだ。息子は夜寝るとき以外はオムツが取れている。トイレに行きたいときは親を呼びにきてくれるので一緒に行く。でもその程度では無理だと言われた。

妻の話を聞いているうちに、客先との定例会まで2分を切ってしまった。また後で聞くと妻に伝え通話を終え、執務室内の自分のデスクまで急いで戻り資料を掴むと、会議室に走った。定例会の間、自社の実績報告をしているときも、周知事項を聞いているときも、妻の話が耳から離れず、執務室に戻った後も怒りはおさまらなかった。並びの席に座っている部下は、怒りを露わにしている自分を見て、仕事のことで何か怒っていると勘違いしていた。

月初の締め作業をしている間も、メールチェックをしている間も、所詮無理ゲーな見積を作成している間も、怒りは膨れる一方だった。

3年保育のリスク、2年保育のリスク、入園先の選別、いろいろと悩んだ末に決めたことだ。周囲のママ友たちから情報を得て、幼稚園からも入園条件を聞き、一定以上の可能性を掴んだうえでこの幼稚園にトライしようと決めたのだ。

決めるのは親だ。責任を持つのも親だ。面接に受かるかどうかは幼稚園次第だ。その女医が決めることではない。意見や忠告はしてくれていいが、診断書を出さないという横暴な対応は絶対に許せない。診断書がないので、明日の面接は受けられず、息子の3年保育という選択肢は閉ざされた。女医は、我々が2年保育の候補として考えていた公立の幼稚園すら、無理だと言い放ったのだそうだ。あくまであおぞらだと。食い下がる妻に苛立った様子で、それでも女医は診断書を書かなかった。

妻の悔しい気持ちを想像すると、怒りと涙が溢れてくる。仕事も手につかないほどの怒りだ。今日は何があっても定時で上がり、早く帰って妻の話を聞こうと思っていた。ところが、定時直前、上司に見積の説明をしている最中に部下のひとりが仕事のことで相談に来た。部下の話は1時間近く続いた。今日二度目の激しい怒りを覚えたのは、その部下の話を聞いた後のことだ。

長くなったので、次回に続く。

2019 day298

この1週間の備忘録。

 

土曜日

3歳の息子の幼稚園をどうするかで妻と口論になる。言葉が遅れている息子にはハードルがあり、たいていのところでは落とされる可能性が高い。プレに通っている人が優先だし、言葉が遅れているし、妻は幼稚園の情報をネットでいろいろ調べ、電話で問い合わせ、息子を連れて見学に行ったりしていた。それでだいぶ疲れてしまい、不安な気持ちも高まって、八つ当たりのようにこちらを責めてくる。

どの幼稚園に入れればいいのかわからないと騒ぎ出したので、考えを整理しようと、費用・規模・距離・延長保育の有無・問い合わせ時の対応・人から聞いた話など、カテゴリーごとに比較してロジカルに会話を進めようと試みる自分。妻が求めていることを是非の判断として一つずつ選択していくと、「そんなことはわかってる」「じゃあ、◯◯ちゃんが怪我しても平気なわけ?」「でも遠いから雨の日は無理」と"ああいえばこういう"状態。いい加減に腹を立て「なんでもかんでも全部取りはできないんだよ!」とブチギレる自分。

妻はキッチン、自分は二階への階段の中腹に座って、口論となった。

そんな中、息子が階段を上って自分の隣にちょこんと座り、頬杖をついてこちらの顔を見上げてきた。言葉は発さないが、まるで「なんかおっかないけど、ふたりともどうしたの?ぼくがそうだんにのろっか?」とでも言っているようだったので可笑しくなってきた。「お前の話でもめてるんだよ」息子の頭を撫でながらそう囁いた。

 

日曜日

昼間、髪を切りに原宿に行った。ラグビーW杯のサウス・アフリカ戦を夜に控えていたので、山手線車内はユニフォームを着た外国人が何人もいた。日曜日の原宿はこれでもかと人でごった返しており、美容室にたどり着くまで大した距離もないのに疲れてしまった。20年来の付き合いの美容師さんとはいつものように、お互いの子供の話や最近の映画の話をした。そして切り終わった後はいつものように店の裏に行き、ふたりで一服した。

いったん家に帰って休憩し、夜は秋葉原に向かった。これまた20年来の親友二人と数年ぶりに飲む約束をしていたのだ。お互いの近況を伝えあい、昔話に花が咲き、現在進行形の身の回りの話や時事ネタを話しているときには、すっかり20年前のあの頃と同じ感覚になっていた。というか、三人とも外見はほとんど変わらないし(皆それぞれ腹が出たとは言うが、それでもいたってスリムで、特に親友の二人はもともと痩せてるし今も痩せてるし、顔立ちも若いまんま)、発言内容や言葉のセンスもまったく変わっていない。それがどうにも嬉しくて、ニヤニヤしながらワインを飲んだ。

 

月曜日

結局4時間かけてビールとワインを2本空けた次の日とあって、少々二日酔い気味だった。声もかすれて、職場では風邪と間違えられた。「明日は祝日だ…」という気持ちだけでなんとか乗り切った。いつも通り、昼飯に行く時間を見つけられないまま定時を過ぎて、体力の限界を感じ早めに帰宅した。

 

火曜日

即位礼正殿の儀の行われる日。外はあいにくの雨模様。時間になるとテレビの前に正座し、天皇陛下のお出ましを待った。…待った。…まだ待った。…そして寝落ちした。妻が「出てきたよ!」と正座したまま頭を沈めている自分を起こしてくれた。テレビには雅子様の御姿が映し出されていた。素敵な御姿だった。そして、天皇陛下。お二人とも雛人形のようで、一般人には無い神々しさを感じた。それは秋篠宮家の皆様も同じで、なんとも美しかった。

天皇陛下が御姿を現された際に、リビングの窓から光が差し込んできたので、窓を開けて外を見たら、雨は止み、雲の隙間からうっすらと青空が顔をのぞかせていた。

「すごい!天皇パワーだ!」「やっぱり普通の人とは違うんだね!」と妻とふたりではしゃいだ。

午後はそれ以降雨が止んだので、家族で近所のショッピングモールに出かけた。必要なものの買い出しの後、息子が必ず行きたがるトイザらスに寄った。息子がブロックや恐竜のおもちゃコーナーにいる間に、一足早くリュウソウジャーのコーナーに向かった。ピーたんという新しい変身ロボが気になっていたのだ。ピーたんは丸っこいゆるキャラからプテラノドンの姿に変形し、さらに人型ロボットに変形する。すごい。欲しい。息子を呼んできてピーたんで遊ばせた。気に入ったようでずっといじっている。年上の男の子に取られた後もずっと見ている。今度買ってあげよう。自分も遊びたいし。

 

水曜日

その日は会議が多く、朝一の社内会議、午前のA社との定例会、午後のB社との定例会に加え、午後の週一の会議、さらに夕方に緊急招集がかかり、計4本の会議をこなした。会議が多過ぎてうんざりする。全然昼飯が食えない。働き方改革という言葉が名ばかりで虚しい。デスクに戻るとメールが100件近く溜まっていた。

 

木曜日

なんだかんだで22時まで仕事していた。36協定に厳しい我が社は、どのような状況であれ残業に物凄い目くじらを立てる。うちの事業所はどう逆立ちしても社員は残業せざるを得ない構造になってしまっているのだが、そこを会社は理解してくれない、というか許容してくれない。

自分の部下は自己管理が苦手な人たちが数名いて、ほっとくと勝手に45時間を超えてくる。仕事に熱心なのはありがたいが、何度説明しても会社の規定を理解できていないのは困りものだ。事前相談も事後報告すらもない。ズレているのだ。そんなんじゃ彼らのことを会社から守れない。ということすらわかってくれていないのが悲しい。そんな彼らの対処をしていたら(それだけじゃないが)、自分が残業してしまった。帰り際、45時間を超えている部下から「くたびれてますね」と言われ、「くたびれてるよ!」「うわ、まさかの逆ギレ(笑)」「わはははは」という会話は半分本気。

 

金曜日

今日は息子の幼稚園の面接日。有休を取って支度をする。妻の準備が悪く、不機嫌にさせられる。幼稚園は家から徒歩30分の距離。駅からバスに乗る予定だったが、外は土砂降りでおまけに風が強い。まるでこの前の台風だ。タクシーを呼ぼうと電話するがつながらず、仕方なく傘をさして息子を抱きかかえ歩いていくことに。やはり車が必要だ。

途中で通りがかったタクシーに乗り込んだが、スラックスは太ももまでびしょびしょで、肌に張りついていた。妻は隣で寒い寒いと繰り返す。

面接は最初は子どもだけ、次に親子一緒の二段階制だった。先生からの「この人だぁれ?」という質問に、恥ずかしがって顔をそむけていたが、こちらの顔を見て指さし、小さな声で「パパ」と言ったのを自分は聞き逃さなかった。よくできました。それだけで100点をあげたい。

結果は夕方に幼稚園のホームページで発表された。息子の受験番号は見つからなかった。ショックを受けてしょぼくれる妻。定員数も多いからいけるんじゃないかと踏んでいた自分も少し落ち込んだ。昨晩は遅くまで夫婦でシミュレーションをして、大雨にも負けずあんなにびしょ濡れになって行ったのに、落ちた。やはりショックだ。幼稚園の義務化求ム。

そんなことはつゆ知らずニコニコしている息子。幼稚園でもらったお菓子を自らパパにも分けてくれる優しい子。君は100点だ。

2019 day278

『JOKER』を鑑賞。公開2日目にしてパンフレットは完売だった。

舞台はゴッサムシティだが、アメコミでもヒーローものでもなく、『バットマン』の敵キャラであるジョーカーをモチーフにしたヒューマンドラマ。社会の底辺で生きる男がジョーカーというキャラクターを確立するまでの過程を描いたドラマだ。

ヒーローものの中では割とシリアスかつジメッとした雰囲気のある『バットマン』だが、コミック要素を一切排除し、リアルな人間像を丹念に描くとこういう物語が浮かび上がってくる。一連のDC作品とも、もちろんMCU作品とも、まったく一線を画した映画で、同じ土俵で語ることはできない。

アーサーの泣き笑いが苦しい。狂人という一言で片付けることは憚られる。共感と否定が心の中で蠢き、スクリーンからは片時も目が離せなかった。

ジョーカーはアンチ富裕層のヒーローとして祭り上げられるが、彼は決してヒーローではない。想いは十分に伝わるし、その傷を癒せるものなら癒したいと思うが、正しい行いに人生を方向付けられないジョーカーは、やはり"敵"なのだ。だから憧れることはないが、でも、嘘のない人間を嫌いになれるだろうか?