2019 day338-1

怒り。

今すぐどこかにぶちまけないと。もう辛抱ならない。こんなに我慢できないほどの怒りが、しかも同じ日に別々のことで二度も。なかなかあることではない。普段から感じる怒りとは度合いが違い、涙を流しながら怒鳴りつけたくなる怒りだ。本当に今日はよく堪えた。二度も。

ひとつめ。

昼過ぎの客先との打ち合わせの直前、上着の胸ポケットで震えていたスマホが気になったので、執務室から出て缶コーヒーを買い、スマホケースを開いた。震えていた長さから電話の着信だとわかっていた。きっと妻だと思った。案の定、不在着信欄に妻の名前があった。

廊下の隅っこで缶コーヒーのプルトップを開け、妻にかけ直した。すぐに電話に出た妻の声は暗かった。不機嫌なのか。怒るようなことをしたかな?話を聞いてみる。

息子は、待機児童で保育園に入れないまま今年3歳になった。来年度から幼稚園に通わせたいのだが、まだ入園先が決まっていない。ことばの発達が遅かったので、2歳のときから発達支援センターに入れて様子を見ていた。そしてちょうど1年くらい前、その発達支援センターで発達検査を行った結果、自閉症の疑いを告げられた。紹介された小児科に妻と息子と3人で赴いた。

先生、発達検査のスコアが◯点で、検査者からは自閉症と言われたのですが、どうなんでしょうか?この子はこういうことが苦手です。こういう遊び方をします。こういうことが得意です。これはできます。これはできません。

その女医は、一度うちの息子を抱き上げ、そのあとは5分くらい我々親の話を聞き、まあ自閉症というよりも精神遅滞、つまり知的障害のほうが大きいですね。検査のスコア的に中等度の知的障害です。

思いがけないその診断に、妻はショックを隠せず、自分は呆然とした。クリニックを出て駅までの夜道。滅多に涙を見せることのない妻が泣いた。結婚する前、喧嘩したときに一度、結婚後、妻の祖母が亡くなったときに一度。そしてこのとき。付き合い始めから9年経って、三度目の涙を見た。妻の涙を見るのは辛い。とても辛い。このことは、以前このブログに記した。

話を戻すが、そんなわけで息子は今年から療育支援施設に通わせている。とても良い環境で、そこの先生たちには感謝している。息子は楽しんでいるようだし、妻もママ友ができて、有意義な時間を過ごせている。

さて、3年保育は息子にとって重要だ。もう1年間だけ療育に通わせてその次の年から2年保育という手もあるが、できれば1日でも早く集団生活に馴染ませたい。だから、まだ発話は2歳児レベルにも達していないが、幼稚園の面接にチャレンジすることにした。

もともとプレで週一通っていた幼稚園からは、自閉症スペクトラムと診断されていることを妻が伝えた瞬間、掌を返すように、そして遠回しな言い方で、退園するように促された。あの園長には自分もお父さんDAYのときに失礼な対応をされたことがあったので、その話を妻から聞かされたときは、辞めてよし!と即決した。どうせ続けていても、嫌な顔をされることになるだろうから、辞めるほか選択肢はなかった。

プレの優先枠を失った為、ただでさえことばの遅れがあるのに、ますます我々は苦境に立たされた。今年から定期的に通っている世田谷の病院の医師も(とても良い先生)、療育の先生たちも、幼稚園にはきちんと状態を伝えておかないと、息子が入園してから苦労するとアドバイスをくれていた。妻はそれに従い、入園希望先の幼稚園に片っ端から連絡を入れ、時には訪問して相談をした。取り寄せた資料をふたりで読んで息子に合っていそうなところを探し、ようやく一箇所に絞り込んだ。面談日はどの幼稚園も10月25日で、一箇所に絞り込む必要があったのだ。

面談当日は傘など意味を成さないほどの土砂降りだった。子供だけの面談と親子面談を経て、夕方の結果発表を待った。時間になりホームページを確認した。息子の受験番号はそこにはなかった。

とても落ち込んだ。両親に囲まれてニコニコしている息子の頭を撫でながら、とても悲しい気持ちになった。息子は成長している。理解度は進んでいるし、活発で運動が大好きだ。ただ、発話が遅れている。とてもいい子だ。

その後も、この1ヶ月、まだ入園を募集している幼稚園を探し続けた。妻は、必死に方々に連絡を入れ資料を取り寄せ訪問にも行った。その苦労を自分はよく知っている。その不安も自分はよく知っている。悲しみも。悔しさも。

そして、一箇所、息子の状態を説明したうえで面談のOKを出してくれたところが見つかった。私立なので値は張るが、環境も家からの距離も理想的だったので、そこを受験することに決めた。

面接日は今週の木曜日、つまり明日だ。受験するにあたって息子の診断書が必要とのことだったので、今日、妻は1年前に行った小児クリニックへ息子を連れて行った。息子を自閉症だけでなく知的障害と診断した女医のところだ。今日の妻からの不在着信は、その結果を自分に伝える連絡だった。

開口一番不機嫌な妻の声が、次の瞬間、泣き声に変わった。女医は診断書を出すことを拒否したそうだ。女医が言うには、息子は幼稚園を受けるレベルに達していないから診断書は無意味、だそうだ。息子が女医のデスクの上に置いてある注射器を触った。触っちゃダメだよ、と言われたが、息子はもう一度触った。ほら、ダメってことわかってないでしょ?ダメって言ってもやるんだから、幼稚園は無理です。そう女医は言ったそうだ。息子がどんな気持ちでどんな顔をして注射器を触ったのか、すぐに想像がついた。ダメと言われてもいたずら心でわざと触る。相手の反応を見ながらニヤニヤ顔で触ったのだろう。3歳にもなってそんなことをしてしまう息子は、幼稚園に入れてはいけないのだそうだ。障害児向けの施設に入れるようにと、その女医は押しつけてきた。トイレがひとりで行けないのも幼稚園レベルではないそうだ。息子は夜寝るとき以外はオムツが取れている。トイレに行きたいときは親を呼びにきてくれるので一緒に行く。でもその程度では無理だと言われた。

妻の話を聞いているうちに、客先との定例会まで2分を切ってしまった。また後で聞くと妻に伝え通話を終え、執務室内の自分のデスクまで急いで戻り資料を掴むと、会議室に走った。定例会の間、自社の実績報告をしているときも、周知事項を聞いているときも、妻の話が耳から離れず、執務室に戻った後も怒りはおさまらなかった。並びの席に座っている部下は、怒りを露わにしている自分を見て、仕事のことで何か怒っていると勘違いしていた。

月初の締め作業をしている間も、メールチェックをしている間も、所詮無理ゲーな見積を作成している間も、怒りは膨れる一方だった。

3年保育のリスク、2年保育のリスク、入園先の選別、いろいろと悩んだ末に決めたことだ。周囲のママ友たちから情報を得て、幼稚園からも入園条件を聞き、一定以上の可能性を掴んだうえでこの幼稚園にトライしようと決めたのだ。

決めるのは親だ。責任を持つのも親だ。面接に受かるかどうかは幼稚園次第だ。その女医が決めることではない。意見や忠告はしてくれていいが、診断書を出さないという横暴な対応は絶対に許せない。診断書がないので、明日の面接は受けられず、息子の3年保育という選択肢は閉ざされた。女医は、我々が2年保育の候補として考えていた公立の幼稚園すら、無理だと言い放ったのだそうだ。あくまであおぞらだと。食い下がる妻に苛立った様子で、それでも女医は診断書を書かなかった。

妻の悔しい気持ちを想像すると、怒りと涙が溢れてくる。仕事も手につかないほどの怒りだ。今日は何があっても定時で上がり、早く帰って妻の話を聞こうと思っていた。ところが、定時直前、上司に見積の説明をしている最中に部下のひとりが仕事のことで相談に来た。部下の話は1時間近く続いた。今日二度目の激しい怒りを覚えたのは、その部下の話を聞いた後のことだ。

長くなったので、次回に続く。