2019 day269

この前観た『アド・アストラ』は、どうしようもないくらい内省的な映画で、宇宙の果てに行くほどにディープな自問自答を繰り返す主人公に滅入るか共感するかはその人次第。自分は割とすんなり受け入れることができた。今のタイミングで観たことが大きいかもしれない。

ストーリーやキャラ設定は破綻していても、ブラッド・ピットの内向的に見せつつ実は派手な演技が素晴らしく、上映時間を長く感じることなく楽しめた。地獄の黙示録化した父親を探す旅は、ブラッド・ピット演じるロイにとって、敢えて封じ込めていた人間性を解放するのに必要なプロセスで、言わばカウンセリングのようなもの。ラストで彼が見た光景は明るくて温かったはずだ。

本作のように、そういうムードが味わえれば十分な映画というものがある。と言うか、大抵の映画はそういう見方でいいような気がする。もちろん、作品のメッセージを伝える為に絶対に外しちゃいけないプロットの組み立てはあるけれど。

ところが最近は、やたらストーリーや設定の粗に意識がいってしまい、そこを突いてその作品の評価をする人が、少なくとも自分のまわりには多いように思える。映画の楽しみ方は自由なので、それぞれの見解が正しいわけだが、その世界観をたくさん味わうなら、もっとおおらかでもいいのかな。なんというか、破綻していればいるなりに、こちらの想像でいくらでもツギハギできるし、それはそれで楽しい作業だ。

アソビがないのはつまらない。

ここのところ、仕事にアソビがまったく無くなった。今年に入ってからその傾向は強くなってきていたが、この1ヶ月でその傾向は加速した。そして、アソビを作る為にどうすればいいか考える余裕も無くなってきた。物理的にも、心の余裕という意味でも。

ついついうつむきがちになる。目の先で革靴のつまさきを捉えることが増えた。革靴が曇っていて、疲労感が足元にも滲み出ていると感じた。だから昨晩は久しぶりに靴を磨いた。4足の革靴を順番に、汚れを落とし、クリームを塗って、丁寧に磨いた。

靴磨きをしながらイヤホンで聴いていたラジオからは、「鬱は鬱を呼ぶんだぜ」という主旨の歌が流れてきた。「暗い気持ちは、人の心も体も弱らせる。心や体が弱ると、さらに暗い気持ちや病に罹りやすくなる。人間の脳はそんなふうにできているらしい。困ったもんだ」という歌。

確かにその通りだろうなと思った。このタイミングでこの歌を聴けたことは、大仰な言い方だが、ある種のメッセージというか救いのように感じた。

困難な時こそ顔を上げていないと道は開けないし、ちょっとうつむいた時でも視界にピカピカの革靴が映れば、少しは気分が良くなり、また前を向ける。実際、今日、考え込みうつむくたびに、ピカピカの革靴が目に入り、ちょっとだけいい気分になり不安定な気持ちが和らいだ。

つらいときこそ無心で靴を磨き、そのご褒美に日中は気持ちが少し晴れる。気持ちが晴れれば前向きなマインドセットのきっかけにもなるし、前進する為の後押しにもなる。着地点を見つける旅にはピカピカの革靴が欠かせない。