2019 day178

オールナイトニッポンでテレ東の佐久間プロデューサーがこの春からパーソナリティを始めて、その番組を聴いている。先週のゲストが伊集院光だったので、久しぶりに深夜の伊集院光トークを聴いた。

ラジオを聴き始めたのは小学校6年生の夏。夏風邪にやられて1週間くらい自宅のベッドの上に寝たきり状態で、他にできることもないから枕元のラジオを一日中つけていた。昼間はTBS大沢悠里のゆうゆうワイド、夜は22時からニッポン放送伊集院光のOh!デカナイト、25時からはそのままオールナイトニッポンというのが自分の定番だった。ラジオってこんなに面白いんだ!と知った夏だった。

以降、ラジオを毎日聴くようになり、十代の途中でアメリカに留学した際も、向こうのラジオを聴いていた。

大学の途中で日本に戻ってきてからは、再び日本の深夜ラジオ生活が始まり、二十代後半で体調を崩して自宅にいた数ヶ月の時期は24時間TBSラジオをつけていた。ゆうゆうワイド、ストリーム、デイ・キャッチ!、UP's(後にJUNK)、そして早朝のおはよう一直線、と日がなラジオ漬け。

30代に入り、結婚もして、仕事と深夜ラジオの両立が徐々に難しくなり、毎日リアルタイムで聴く回数も減っていき、代わりにPodcastを聴くようになった。ちなみにその頃見つけたのが、マキタスポーツプチ鹿島サンキュータツオの東京ポッド許可局。今やTBSラジオでレギュラー化し、毎年イベントを全国で打つほどに成長した。その過程をリスナー(局員)として一緒に過ごせてきたことは、ラジオっ子としてこの上ない喜びだ。

話が脱線した。

radikoがスタートしてタイムフリー機能が使えるようになってからは、リアルタイムで聴けないラジオを後から聴けるので大変重宝している。

それでも聴きたい番組とその時間数が、こちらの体力や時間の制限の中に収まり切らず、取捨選択を迫られてしまい、伊集院光の番組はこの数年ほとんど聴いていなかった。自分の思春期のこじらせも二十代のひねくれも伊集院光によって慰められていたというのに。

で、先週、久しぶりにオールナイトニッポンのゲストとして登場した伊集院光を聴いた次第。それで無性に伊集院光の深夜ラジオが聴きたくなり、今週月曜のTBS深夜の馬鹿力radikoのタイムフリーで聴いた。

その放送内で伊集院が紹介してかけた曲が我妻佳代の『悲しみの向こうがわ』。滅多に音楽をかけない伊集院。というかTBS推薦曲すらかけたがらない伊集院が、自選曲をかけるのは珍しい。それほどに思い入れのある曲ということだ。

で、この曲、自分も思い入れがある。何故なら、昔、伊集院光ニッポン放送時代にOh!デカナイトで「大好きな曲」と言ってかけた曲なのだ。当時は番組をカセットテープに録音していて、留学した時もそのカセットテープを擦り切れるほど繰り返し聴いていた。その中で、『悲しみの向こうがわ』をかけるくだりがあり、再生を繰り返すうちにテープの音声飛びが出始め、歌の途中で一小節の一部分だけが音飛びするようになったのをよく覚えている。伊集院は『さよならの向こうがわ』と紹介して曲をかけて、曲終わりに「タイトル間違えました。『悲しみの向こうがわ』でした」と言っていた。

17年くらいの時を経て。テレ東佐久間プロデューサーのオールナイトニッポンをきっかけに、数年ぶりで伊集院光の深夜ラジオを聴いたら、「元おニャン子我妻佳代さんで、『さよならの向こうがわ』です」と紹介して曲が流れ始めた。プッシュホンのピッポッパッがメロディになっているイントロを聴いた途端、一瞬にして中学生の頃の記憶が蘇り、当時の寝室の光景や、ラジオを録音したカセットテープの色や、留学したときの郷愁感などが脳内を駆け巡った。

曲が終わって「タイトル間違えました。『悲しみの向こうがわ』でした」と伊集院が訂正した。まんま17年前だ。うわー、こんなことあるんだな。なんだかうまく表現できないけど感動した。これはなんというか、一種のご褒美だな。長年ラジオを聴き続けたご褒美。他人にはわからないご褒美。いただきました。

悲しみの向こうがわ

悲しみの向こうがわ