2019 day40

昨日早朝、昔世話になった人の訃報が入った。いつどのように亡くなったのかわからぬまま、今日、葬儀に駆けつけた。

N氏はクリスチャンだったので、葬儀は新宿の教会で営まれた。少し遅れて着くと、牧師さんのお話しが始まっていた。壇上には懐かしいN氏の顔写真が飾られていた。白い帽子をかぶってニカッと笑っている。

関係者の感話を聞き、当時のことを思い出した。賛美歌を斉唱し、N氏の魂を想った。しかし、もうあれから十数年会っていない。N氏が死んで、すぐそこに遺体として寝かされているというのが、どうも現実味を帯びてこなかった。

献花に向かい、棺の前に立った。N氏の顔があった。享年76歳だったという。てっきりまだ60代だと思っていた。20年前に初めて会った時と変わらぬ、胆力のありそうな顔だが、目と口は瞑っていた。

急に何かが込み上げてきて、深く長く頭を下げた。長らくご無沙汰してしまった非礼を詫び、最期の挨拶をした。

式が一通り終わると、狭いロビーは参列者たちで溢れかえった。知っている顔のほとんどが10年以上会っていない人たちだ。久しぶり、と声を掛け合い故人を偲ぶ。もちろん中には名前が思い出せない人もいた。相手もまだこちらに気づいていないので、必死に思い出そうとするが出てこない。他の人に聞いてようやくわかる、そんな旧交の温め方をした。

みんなと出会ってから20年。当時尖っていた若者たちも皆それぞれ歳を取る。でも話せば当時の呼び名で呼ばれるし、話し方も変わらない。同じ釜の飯を食った仲間が、N氏の葬儀を機に再会した。いや、恐らく自分が一番疎遠だっただろう。郷愁を感じながら、教会を後にした。

雪が降る大久保界隈を歩きながら、昔のことを思い出していた。N氏に出会った当時、人生で初めて道に迷っていた時期だった。若者ならではの情熱だけで生きていた。周りもそうだった。そんな連中をN氏は真正面から受け止め、こちらを上回る情熱でまとめ上げていた。そしてその生き方は死ぬまで続いていた。

N氏は快活な人で、よく笑い、熱く語り、面倒見がよく、時にはめちゃくちゃで周囲を困らせ、そして多くの人から愛されていた。N氏や仲間たちと過ごしたあの時間は、間違いなく今の自分の礎になっている。その後進んだ道は違えど、N氏の魂の一部は自分にそっと寄り添っている。

1月下旬にインフルエンザに罹り、2月3日には教会に顔を出したらしいが、いつもの元気はなかったらしい。直接の死因は聞かされていないが、その日、板橋の自宅でひとり、息を引き取ったとのこと。

N氏、2019年2月3日永眠。享年76歳。

またいつか、村さ来でビールを呑みましょう。アーメン。