2019 day20

フジテレビの『ザ・ノンフィクション』を観た。39歳、頑張らない生き方。銀座でカレー屋を営む39歳女性の話。

観ながら、これは相当多くの反響を呼ぶだろうなと。その反響の多くは批判で、共感の声は少ないだろうなと。そう思った。主人公のはるかさんが、世間的には好き嫌いの分かれるタイプだからだ。そして、好きな人のほうが少数派だろう。コアなファンに支えられている人は、世間の間口が広くないことが多い。これは批判ではなく、テレビ画面から伝わってくる情報だけで判断した、自分の経験に基づく感だ。

定刻通りに店を開かないとか、客と飲んでるうちに酔ってきたので早めに店を閉めるとか、その閉店作業も客に手伝わせるとか、そういうことが頑張らないという言葉の定義として紹介されていた。頑張らない=自然体=ユニークな生き方=魅力的、というような方程式を組み込んで番組は構成されているが、前提に不自然さや謎があり、どうしてもストンと飲み込むことができない。この感覚は視聴者の多くが感じるだろうし、それが主人公のはるかさんや番組への批判に繋がる要素になり得るだろうことは、観ている途中から予感していた。そして結局、上記の方程式は分解されることなく番組は終わってしまった。

いや、まったく解を示さなかったと言えば嘘になる。解の入り口くらいまでは辿ることができていた。例えば、はるかさんの前職がクラブのママだったことは誰もが腹落ちする話だろう。日芸を出た後ピアノの講師をしていたこともあるそうだが、水商売歴のほうが圧倒的に長いはずだ。ママになるにはそれなりの下積みがあっただろうし、彼女のカレー屋がほぼ常連客で回っていることや、普段の移動にタクシーを使っていること、雑居ビルとは言え銀座に店を構えていること、銀座の店で飲み歩いている様子なんかを見ても、それなりの金を持っていることが想像できるし、お水の世界が板についていることもわかる。そもそもスナックの居抜き物件をそのままカレー屋にする感覚は、初めからカレー屋を志すような人は持ち合わせていない。店の棚にも酒が並んでいたし、客からビールを奢ってもらうところなど、水商売っ気が抜けていないのが見て取れる。また、新潟の実家の美味しい野菜を食べさせたいというのが先行していて、カレーが主役ではなさそうだというところからも、はるかさんの本望はカレー屋を営むことではなく、何かしらの形で銀座に棲みつくことのように思えた。

カレー屋をやるのに銀座という土地にこだわる必要はない。何かがあってクラブを辞めた、それは結婚かもしれないし、3年後の離婚かもしれない。水商売から半分抜け出せていないのは、はるかさんがその世界で得たものを手放したくないからだ。だから銀座だし、だから自由なのだ。

自由には裏がある。その裏は語られない。自由であることと好き勝手やることは違う。誰にも何にも縛られない自由な生き方。それをこの番組は「頑張らない」と表現している。

はるかさんは決して自由ではない。彼女を縛る見えない鎖は確かに存在している。番組の視点や語り方が中途半端なのでわかりづらいが、点と点を繋いでいけば、幾重にもなった鎖の束がうっすらと見えてくる。

一つ間違いないのは、はるかさんは、水商売時代の人脈やそこで培われたアイデンティティを手放したくないということ。そうでなければ、年老いた祖父と両親が心配だからと、実家の離れを1,000万円かけてリフォームしてそこに住み、新幹線で銀座まで通うなどという破綻した決断は下せない。

お金の工面も謎だった。リフォーム資金の話のくだりで、「私が全部出すわけじゃないし」と言っていたのはどういう意味か。親も出すという意味か?だとしたらこの無茶苦茶な計画に付き合っている親にも注目しなければならない。だって離れじゃなくて母屋に一緒に住めばいいのだから。この家族の闇を疑ってしまう。

資金提供元としてほかに考えられるとすれば、パトロン。数人いてもおかしくない。それは彼女の我儘にとことん付き合う男の常連たちを見ていれば察しがつく。

男の常連と言えば、ビールを店の冷蔵庫にしまう手伝いをしているのは「実は社長さんなんです」というようなとてもいやらしいナレーションがザワザワしたが、はるかさんがこのような人たちに愛されているからこそ、この店の存在が成り立っているのだ。経営が成り立っているのかどうかはまったく別の話だが。ほかにも、千葉の内房あたりから月に二回通い、閉店まで居座るワケありそうな37歳会社員や、リフォーム見積りの交渉で長岡くんだりまで付き合わされた挙句、1,000万円のリフォーム代は妥当ということが早めの段階でわかってしまう建築家など、香ばしい要素が満載だった。

頑張らない生き方を象徴するセリフとして番組がフィーチャーしたと思われるのは、はるかさんのこんなセリフ。「子供は欲しい。結婚はしないけど、子供は欲しい。でも産んだら大変なんだろうな」番組は彼女のユニークさをどのような形で表現したかったのだろうか。

はるかさんの生き方に共感はしないが、批判するつもりもない。所詮、他人のことだ。あれだけの常連を囲めるのは才能が無ければできないし、番組では語られていない努力もしているはずだ。そういう点では素晴らしいと思う。

しかし、番組の作り自体は決して褒められたものではない。下手ウマなのか、意地が悪いのか、取材対象との距離が縮められなかっただけなのかはわからないが、作りとしては足りないものがあったり余計な注釈があったり、不安定極まりない。ただ、この番組が興味深く、何にそんなに惹きつけられたのか、自分なりの解釈を深掘りしたくなった。そしてこの長文を書いた。

最後に、自分が飲食店の経営者なら、キッチンに客を入れることは絶対にしない。衛生面においても、プロのプライドという観点からも。

 

追記

水商売の経験、都心の飲食店、女店主、客に手伝わせる、というキーワードだけを並べると、神保町の未来食堂も共通するが、似て非なるものとは正にこのこと。

あと、頑張らない生き方、というタイトルはやはり解せない。肩意地張らずにありのままの自分で頑張る生き方、というなら頷ける。

で、この番組が視聴者である自分や妻に与えた影響かどうかは知らないが、今晩の夕食はカレーライス。スープカレーではないけれど。