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続・映画なんて観なくたって生きていける

日常 映画

蒐集癖がある。

 

タバコの銘柄を全部集めようとしたことがあった。いろんな種類のタバコの箱を壁一面に並べたら綺麗だろうなと思ったのだ。

 

好きな作家の本はすべて買いあさって本棚に並べた。好きな漫画家の作品も同様だ。本人の著作でなくても関連する作品は蒐める。雑誌にしてもひとたび気に入ればバックナンバーから揃え始めようとする。そうしたら当時住んでいたアパートの床が歪んだ。

 

革ジャンを20代から30代にかけてほぼ毎年、買い続けていた。子供が生まれてからは経済的な問題からさすがに自粛しているが、たまにウィンドウショッピングはする。

 

ギターもあれやこれやと欲しくなる。無理して買い続けたせいで生活が凌なくなったこともあった。

 

家庭を持つと制約がたくさんできるので、なかなか蒐集欲が満たされることはない。そんな自分の性格を知っている妻は、こちらがどれだけ我慢しているか、多少なりとも理解はしてくれているので、たまに何か小さなものを買って帰ってきてもそれほど怒ることはない。こちらとしても妻の許容範囲は考えている。

 

妻の許してくれることの一つに映画がある。子供が生まれる前はしょっちゅう一緒に観に行っていたし、そもそも初めのデートも映画鑑賞から始まった。

 

映画に関連する仕事への転職を勧めたのも妻だし、未だ転職は実現できていないものの、その仕事に切り替えることは応援し続けてくれている。

 

だから映画に関しては他に比べて比較的寛容だ。

 

そんなわけで、映画鑑賞は唯一、日々連続的に行われている趣味にして蒐集癖を満たす行為だ。さらに勉強半分とか言いつつ3年前からパンフレットを買い始めたので、もとより本がはみ出していた本棚はさらにカオス状態となった。現在、新しく本棚を買い足すまでダンボール箱の中に眠り続けている本たちは、映画パンフレットに家を追い出された悲しい宿無しだ。

 

映画は観なくたって生きていけるが、映画を観に行きたいという衝動と、半ば強制的に映画を観に行かねばという強迫観念と、今年は何本観ることができるかという蒐集癖を満たすカウントアップと、時たま訪れる「この作品を観るために映画館に通っていたんだ!」と思わせる出会いが、やっぱりどうしたって今日も劇場に腰を落ち着かせてしまう理由だ。

 

今年鑑賞した100本のタイトルのうち、特に印象に残ったものを鑑賞順に挙げる。

 

クリード/チャンプを継ぐ男

さらば あぶない刑事

オデッセイ

ルーム

レヴェナント

シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ

ボーダーライン

アイアムアヒーロー

カルテル・ランド

FAKE

エクス・マキナ

シング・ストリート

君の名は。

聲の形

怒り

永い言い訳

エブリバディ・ウォンツ・サム‼︎

この世界の片隅に

湯を沸かすほどの熱い愛

アイ・イン・ザ・スカイ/世界一安全な戦場

 

今の気持ちで並べただけなので、明日には多少変わるかもしれない。作品としての出来云々ではなく、自分にとってより意味のある作品、自分の血肉となった作品が、特にこれら20タイトルだ。

 

映画なんて観なくたって生きていけるし、それこそチケット代、パンフレット代、たまにドリンクとポップコーン代を足すと1回につき3,000円くらいかかってしまうし、何より身体が2時間も拘束されるわけで、見方によっちゃあ金と時間の無駄かもしれない。

 

でも、100本観たら20本、つまり5本に1本は心を突いてくる作品があるわけで、それがわかってしまったらやめられるわけがないではないか。それに、劇場公開時に観るからこそ感じることのできる時代の空気というのは、その瞬間にしか味わえないエッセンスだ。同じ作品でも公開時にリアルタイムで観るのと、DVDになってから観るのとでは、味わい方がまったく違う。どちらが良い悪いではなく、どちらの旨味も知っておくためには、まず公開時に観ておかねば話にならないということだ。

 

そして繰り返すが、今生きているこの時代の空気を自分自身に刻み込みたいのなら、わざわざ劇場に足を運ぶことの価値を軽んじるはずがないのだ。

 

まあそんなふうに言ってはみるものの、単純に「”快”と”楽”があるから映画館に行くんだよ」と言ったほうがわかりやすいし、「なんならそこは”ハレ”の空間、つまりお祭りみたいなものなんだ」と言えば、とりあえずこいつネクラではなさそうだなと思ってもらえるだろう。