映画なんて観なくたって生きていける

はじまりは『ダンボ』だった。百貨店の小さなシアターに母親に手を引かれ観に行った。

 

それから家では『ピーターパン』を繰り返し観ていた。

 

きっかけは『パルプ・フィクション』と『カッコーの巣の上で』。映画に魅せられた瞬間だった。そして同じ時期、気まぐれで参加した演劇のクラスで鑑賞課題となった『フック』に後押しをされた。

 

20代の頃、お金がないから映画はレンタルビデオやDVDで消化した。忘れっぽいから、たまに以前観たことのある作品をうっかり借りてしまうこともあった。途中でなんとなく思い出すのだけれど、忘れっぽさが功を奏して最後まで新鮮な気持ちで観ていた。

 

30手前で、映画は映画館で観るにかぎると気づいた。『潜水服は蝶の夢を見る』の鑑賞後にそう思ったのかもしれない。作品世界にどっぷり浸かるには、映画館の閉鎖的な公共空間の方が適していると感じたのだ。

 

それからは時間を見つけて映画館に通うことにした。とりあえずめぼしい作品は映画館で観ることにした。

 

世の映画ファンからしてみれば、自分の年間の鑑賞本数はたかが知れているが、月に6〜8本のペースは保っている。別に映画を観に行くことをノルマにしているのではなく、純粋に気になる作品が毎月それくらいあるということだ。本当はそれでも絞っているわけで、時間が許すのならあと3〜4本は観に行きたい。

 

結婚をしてもその鑑賞ペースは変わらなかった。妻との映画デートは楽しかったし、お互いの好き嫌いや許す許さないのレベル、もっといえば価値観の尺度を知ることができて、非常に興味深かった。

 

子供が生まれた今も、相変わらず映画館に足が向く。とはいえ、妻は子供の面倒があるので単独行動だ。少々負い目は感じるものの、妻に甘えてしまっている。

 

しかし、変化がなかったわけではない。仕事の合間や休日に、いつどこで何を観るかを考えるのがささやかな楽しみだったはずが、いつの間にか子供のことを考えている自分に気がついた。あの子と何をして遊ぼうか、お風呂の時間までに帰れるだろうか、早く顔が見たい。そんなことをぼんやり思っていると、仕事帰りに映画館に寄ることが億劫になる。家族3人でなんでもない時間をのんびり過ごしたい。その一方で、あれも観たいこれも観たいという欲求が頭をもたげてくる。葛藤だ。

 

1年ほど前、なんでこんなに映画を観ないと気が済まないんだ?と考えてみた。演じるということや創作に対する憧れや、映画館という非日常的空間における癒しなど、いくつか思い当たることはあるが、もっとズバリな理由があるはずだ。ドラマ、SF、サスペンス、コメディ、ホラー、ドキュメンタリー、ロマンスと、ジャンルを問わず観ている理由があるはずだ。

 

映画が自分に与えてくれるもの。今年はその正体を見定めるために映画館に足を運んでいる。いや、かっこつけすぎた。観たい欲求に駆られたついでに、映画の魅力を考えているというべきだ。

 

さて、なんだろう?