殺されたミンジュ

抽象的な描き方をした作品だった。キム・ギドク監督の前作『メビウス』は、話の筋と映像があまりにもショッキングで、そこに来て今回このタイトルだ(ちなみに原題は『1対1』)。なので、ものすごく暗い作品だろうと覚悟していたが、暗いというよりは重い、「お前はどうなんだ?」と突きつけられる内容だった。映像も、拷問シーンはたくさんあるが、それほどキツイものではなかった。観る人によるのかもしれないけど。

冒頭、女子高生ミンジュが男達に捕まり、顔をガムテープでぐるぐる巻きにされ殺される。なぜミンジュは殺されたのか?強盗や強姦といった類ではないことはわかる。何か陰謀めいた謎がありそうだ。

怒れる中年男とその手下達が、ミンジュ殺害に加わった男達を一人ずつ拉致し、拷問にかける。そして、「去年の5月9日、お前がしたことを正直に書け」そう言ってミンジュの死体写真を見せて、紙とペンを渡す。拷問に耐えかねた男達は泣きながら、または震えながら自らの行いを書く。

ミンジュを殺害したのは軍の組織であることが次第に分かってくる。なぜただの少女が軍の組織に殺されなきゃいけなかったの?というミステリーに本作は答えてくれない。そういう映画ではないのだ。

ミンジュとは、民主、つまり民主主義のことだ。「民主主義を殺したのは誰?」というのが本作のテーマであることに途中から気付いた。

「上の命令は絶対。善悪は関係ない」
「怒られたら、本意じゃなくてもひたすら謝ればいい」
「信念を持っていれば正義」

理不尽な暴力を受けた者が、暴力で相手に復讐する。暴力は人間の身体のみならず本能にも圧倒的なダメージを与えるため、一時的な効果はあるものの、結局は新たな復讐の炎を焚きつけるに過ぎない。復讐は何も生まず、負の連鎖によって世界が瓦解していく様を本作は描いていた。

「独裁者は国だけじゃない。家族、友人、恋人の中にもいる」

「ドジョウは水槽に一匹だけだとすぐに死んでしまうが、ライギョを入れると健康で長生きする。追ってくるライギョから必死に逃げるから」

多くの人間が被害者意識のある反面、誰しもが加害者であることも事実だ。ドジョウはライギョで、ライギョはドジョウだ。

ミンジュを殺したのは誰だろう?その責任の一端は自分にもあるのかもしれない。

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