マイ・ファニー・レディ

邦題は『マイ・フェア・レディ』を文字っているわけだが、なぜそんなタイトルをつけたのかは本作を観れば理解できる。映画愛に溢れているボグダノヴィッチ監督は、本編に昔の映画をたくさん”出演”させている。

予告編を観た時から「ウディ・アレン臭のする映画だなぁ」と思っていたが、実際にはウディ・アレンのような皮肉は少なく、ドタバタコメディの楽しさと、主役のイジーの可愛らしさに溢れた映画だった。まあ、それでも、オーウェン・ウィルソンが主演だったり、昔の映画や音楽のオマージュがあったり、悩める若い女の子と悩める中年男という設定だったり、ウディ・アレン臭は抜けない。

物語のキーとなるセリフが、回り回ってオチと大オチでギャフンと決めてくれるわけだから、よくできてるなぁと感心する。こういう上手いドタバタコメディって最近の邦画ではなかなかない。それっぽく作ってるのはたくさんあるが、どれも何かの二番煎じだったり、上手いこと言ってる風なだけで全然心に残らなかったり、全く感心できない作品ばかりだ。

そう考えると、ハリウッドのスクリューボール・コメディって素敵だよね、さすが専売特許だね、と思ってしまう。

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さて、イジーの母親役としてシビル・シェパードが出ている。スクリーンでは久しぶりに見かけた。80年代、『こちらブルームーン探偵社」でブルース・ウィリスと共演していた。子供の頃、確かNHKで放送されていた気がする。この番組が大好きでよく観ていた。そのシビル・シェパードは、昔、ボグダノヴィッチ監督の恋人、つまりミューズだったらしい。

インタビュアーに「私の前職はミューズよ」と答えるイジーは、オードリー・ヘプバーンを思い起こさせる。『ティファニーで朝食を』のホリーも確かにミューズだった。男たちにやる気を奮い起させる天使。

ボグダノヴィッチ監督は、80年代初頭、ドロシー・ストラットンという元プレイメイトの新人女優と婚約していた。オードリー・ヘプバーンを主演に迎えた『ニューヨークの恋人たち』という映画に、この金髪の可愛らしいドロシーは出演している。当時20歳。ボグダノヴィッチ監督はきっとドロシーに夢中だったことだろう。しかし、撮影1ヶ月後に悲劇が起きる。ドロシーが、嫉妬に狂った別居中の夫に射殺されてしまったのだ。

こうした背景を咀嚼したうえで本作を観てみると、なかなか味わい深くなる。アーノルドが、あちこちで一晩の情事を繰り返しては、浮気相手の女性に「自分の夢を実現させるために使いなさい」と言って大金をあげてしまうその行為も、理解できてしまう。「僕はフェミニストなんだ」というアーノルドのセリフも決して嘘じゃない。

男にとって、ミューズの存在は必要不可欠。彼女たちに癒してもらい、そのお返しに夢を与えてあげる。自己満足かもしれない。でも、古今東西、普遍的な話だ。



最後に。
ジェニファー・アニストンもずいぶんオバサンになっちゃったけど、ひと昔前はみんなのミューズだった!