おにぎらず

業務拡大と人事異動と退職が重なった夏。
 
既存業務に加え、新規業務の立ち上げに向けて準備が忙しくなる中、強力な管理者が、7月から8月にかけて、4名いなくなった。平行して、情報セキュリティマネジメントシステム強化のための社内サーバ整理もおこなわれた。上期中は、様々な角度から大きな動きが重なり合ったわけだ。
 
担当している既存業務は、その性質上安定している期間は短く、基本的には常にギリギリの状態で仕事を回している。今後自分が担うであろう役割を全うするためには、現場を切り盛りできる人材を育成しておく必要があった。各レイヤーにいつになく厳しい言葉をかけ、新しい体制を作るために、フロアのあちこちを行き来した。
 
時にはクライアントから無理難題を強いられ、社内のひっきりなしに発生する課題問題に向き合い、休憩を取る暇もなく、残業時間が規定を大幅に超過する日々。休日出勤も当然の如く。それがかれこれ3ヶ月。
 
そして、10月1日を迎え下期が始まり、いよいよ新規業務が幕を開けた。既存業務の担当を継続しつつ、複数ある新規業務のうちの一つの主幹となり、激務に拍車がかかった。
 
業務量が尋常でないのは同僚や部下たちも同じで、皆、さすがに疲れが隠せない。
 

長々と書いたが、要するにクソ忙しいのだ。

 
(このままだと、そろそろ倒れちまうぞ……)
 
そんな不安が頭をもたげてきた。
 

 
今朝、いつも通りにパソコンに向かっていると、近くのデスクで庶務のKさんが、
 
「おにぎり食べますか?」
 
と可愛らしい笑顔を向けてやってきた。
 
「普段お昼も行けてないようだから。昨日もみんな大変そうで、殺伐としてたし……」
 
そう言って差し出されたKさんの両掌には、ラップに包まれた三角形のおにぎりが乗っていた。
 
「うわぁ、スパムおにぎりだ!」
 
Kさんは、周りのみんなのためにわざわざスパムおにぎりを作ってきてくれたのだ。柔らかい雰囲気で相手のことを和ませてくれるKさんらしい心遣いに、思わず気持ちがほっこりした。
 
「これ、おにぎりじゃなくて、おにぎらずなんですよ」
 
微笑みながら、Kさんはスパムおにぎらずを手渡してくれた。握らないで作ったおにぎりらしい。たしかに、形がいくぶん平べったい。
 
「すごく嬉しい!ありがとう!」
 
子供のようにはしゃいで、おにぎらずを見つめた。隣の同僚も嬉しそうに自分のおにぎらずを見つめている。
 
今日は、このおにぎらずのおかげで乗り切れたと言っても過言ではない。
 
そんな、なんでもない、誰にも語られることのない日常のほんの一コマが、人生にささやかな彩りを添えてくれる。改めてそう思った。
 
スパムおにぎらずは、言うまでもなく美味しかった。