ヴィンセントが教えてくれたこと

ビル・マーレイが大好きだ。ナオミ・ワッツも大好きだ。このふたりが出る。ただそれだけの理由で観たかった映画。

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ビル・マーレイは、偏屈で毒舌ばかり吐く男、ヴィンセントを演じている。こういう役柄はマーレイの面目躍如。煙草を吸って酒に溺れてギャンブルで破産する。人嫌いで、周囲も彼のことが嫌い。独り暮らしの荒れた生活。かと言って、悲壮感は漂っておらず、ヴィンセント自身はドン底ながらもそこそこ楽しみながら飄々と生きている。

そんなヴィンセントが、ひょんなことから隣に越してきた母子家庭の子ども、オリヴァーの子守をすることになる。子守と言っても、ヴィンセントがまともな子守ができるはずもなく、喧嘩の仕方を教えたり、競馬場に連れて行ったり、バーで一緒に飲んだり踊ったり、ワルイことばかり教えてしまう。

当然ヴィンセントは子ども好きでもないので、オリヴァーのことを子ども扱いもしない。ふたりは対等な関係性を築いていくナオミ・ワッツ演じるロシア人ストリッパーのダカにしても、ヴィンセントとの関係性は対等な友人だ。そこには同情も慰めもない。そこが、この映画の良いところだ。

本作は、普通ならお涙頂戴になりがちなテーマだが、作品中に感動的な演出はない。それは、ビル・マーレイの演技にしてもそうだし、オリヴァーの母親、マギーの不幸な状況とは裏腹に醸し出される可笑しみにしてもそうだが、観客の涙を誘おうとするいやらしさは微塵もない。それでも、クライマックスでは涙が溢れた。それはこの映画が、すべての人を、その人生を肯定しているからだ。

脚本はセオドア・メルフィ監督自身の身近に起きたことがベースとなっている。リアルなライフから摘み取ったエッセンスを凝縮して製作したのが本作だ。だから心に強く訴えかけてくるのだろう。

配役がまた面白い。ナオミ・ワッツをロシア人ストリッパー兼娼婦という役柄に当て込めるだけでなく、コメディリリーフとしての役割も担わせている。さらにコメディエンヌのメリッサ・マッカーシーは敢えて真剣な母親役で、マギーという人物にリアリティを与えている。マーレイ、ワッツ、マッカーシー、そして賢いけどひ弱なオリヴァーを演じたジェイデン・リーベラーのアンサンブルが軽妙な中に重厚な人間模様(人生)を描き、作品自体を一つ上のステージへと押し上げている。

ラスト、エンドロールでヴィンセントがボブ・ディランの”shelter fron the storm”を口ずさむ。煙草を吸ったり、鉢に水をやったり、他愛のないシーンが流れるだけなのだが、見入ってしまう。幸せの1シーンとは、このように他愛のないものなのだ。