2019 day31

バカにも二種類いて、憎めないバカと苛立たせるバカ。

可愛げのある人柄や夢見がちなバカは憎めない。でも、できる風のオーラを出しながら物事のイロハがわかっていないバカは耐えられない。表面上は一丁前のことを言うが、ノーロジックなので当然自己矛盾が生じている。そのことに当人は気づくはずもなく、こちらとの会話が成立することはない。

そんなバカを相手にして、今日は自分としては珍しく、感情が抑えきれなかった。しかしそれも糠に釘。相手には何も響いていない様子だった。周囲にいた人たちも、バカとはいえ、流石に状況を察したようで集まってきたり聞き耳立てたり。

話も一通り終わったところで、周囲にいた空気の読めない憎めないタイプのバカが、こちらの応援のつもりかただの野次馬根性かは知らないが、変な囃し立て方をしたのだが、キャラなのでムカつくが憎めない。

明日から既存業務の対応範囲拡大と新規業務の立ち上げが始まるが、ここまで酷い状況は初めてだ。情報不足、情報錯綜、情報混乱、情緒不安定、厚顔無恥後出しジャンケンと二転三転の繰り返し。丸投げは今に始まった事ではないが、そんなことだからこの現状に至ったという反省は皆無。

職場を出ると、冷たい風、雨、雷。暗雲立ち込める明日を予兆するかのような天候に、ため息ではなく、から笑いがこぼれた。

2019 day28〜29

アジアカップ準決勝。対イラン戦。28日に始まり日付変わって29日。事実上の決勝戦と言われたこの試合を見事に日本が3対0で勝利した。

前半は拮抗したままお互いノーゴールで折り返し、後半11分。ずっと走り続けている南野がドリブルで相手ゴール前に持ち込むが倒される。ファウルをアピールするイラン選手たちだがノーホイッスル。倒された後もすぐに起き上がり転がるボールに追いついた南野はすかさずクロスを上げる。それを大迫がヘディングで押し込み1点。さらに22分、南野のシュートから相手のハンドを誘いPK。VARになるが、レフェリーの判定は変わらず。これを大迫が落ち着いて決める。シュート前、イラン選手がすぐそばで挑発していたが、まったく気にする素振りを見せない大迫のメンタリティはさすが。そして、イランのパワープレーにも屈することなく堅守速攻のパスサッカーを貫いた後半45分過ぎ。南野のパスから原口がドリブルでペナルティエリアに持ち込みとどめの3点目。

最後、手を出してきたイランFWの苛立ちはことごとく冨安にチャンスを潰されていることからも想像はできるが、この程度の脆いメンタルでは今の日本に負けても仕方ないかなと思えた。

日本のサッカーに学ぶところは多い。全ての選手が攻守ともに献身的で、とにかくずっと走り続けている。しっかりと相手のコースを読みプレスをかけて、切り返しは一気にたたみこむ。お互いのポジションを確認しながら流動的に入れ替わり、誰もがシュートの意識を持ち、自陣は全員で守る。森保監督も控え選手もピッチに向かって手を叩き叫び続ける。ゴールを決めた選手は控え選手の元へ駆け寄り、みんなで喜びを分かち合う。

男燃(萌)えする彼らの雄姿から目が離せない。そう、森保ジャパンは、ベテランからひとまわり下の若手まで、それぞれのプレーに特徴を持った選手の集合体だけに、まだまだチームとしては進化・成長の過程である。と同時に、そういういろんな個性があるにもかかわらずぶつかり合うことなく、水の中で色とりどりのペンキが混ざり合うかのようにお互いを求めながら馴染んでいく。これはまさに男燃(萌)えジャパン。

2019 day23

帰宅途中の電車内。車両の端っこに乗って車掌室を背にボーッと立っていたら、ふと目に入るものが。

車内は空いていて、立っているのは自分一人だが、シートはほとんど乗客で埋まっている。

乗客。

乗客なんだけど、一人だけ、鬼が紛れ込んでいた。初老の眼鏡をかけた鬼が、静かにシートに座っている。几帳面なタイプなのか、手帳を読んでいる。

鬼は嫌いじゃない。そのハゲ頭からニョキッと生えているツノに目を奪われた。

そのうち、初老の鬼は途中の駅で降りていってしまった。あー、いなくなっちゃった。鬼、もう少し見てたかったな。

すると、入れ替わるように今度は悪魔が電車に乗ってきた。コートに隠れて矢印型のシッポは確認できないが、ランクの低い悪魔だ。粘着質な悪戯をする卑屈な悪魔だ。

悪魔がこっちに近づいてきた。悪魔とはあまりお近づきにはなりたくないのに、その卑屈な悪魔は距離を縮めてくる。乗り換えの駅に着いたのでドアの前に立ったら、悪魔が隣に来た。そして一緒に降りた。

鬼ならいいけど悪魔はちょっとね。

卑屈な悪魔、さようなら。足早に乗り換え口へ急いだ。

2019 day22

さて、わかっていたこととは言え仕事が超過密スケジュールでやばい。期日に間に合わないんじゃなかろうかという不安が一番やばい。

現業務が客先の意向で運用が新しくなるのが2月。その運用整備を進めつつ、旧運用に紐付いている在庫管理と清算の準備もする。

さらに、急遽転がり込んできた別業務の運用構築も並行して走り、こちらも2月スタートに間に合わせないといけない。運用構築に必要な情報が不十分なので、情報収集がまだまだ必要。それ以前に客先の対応が遅く契約締結がまだなので、急ピッチで見積を作成し、社内照査に回さなければならない。それ、今週中。

客先からはかなり自己本位なお願い事が度重なり、関係性を悪くするわけにもいかないので、立ち回りがとても難しい。人って追い詰められるとプライドもかなぐり捨て、前後不覚なまま自分勝手で失礼千万なことをしてくるんだなぁ、と思った。

そんなあれやこれやをしながら、配下メンバーや他拠点への連携や指示をして、資料作成だとか試算だとかしていると、昼飯にワンタン麺を食べに行くこともできず、気づけば日が暮れている。

 

そんな最近の状況を帰宅途中の電車に揺られながら備忘録として書いていたら、目の前に座っている若い女の子の動作に「ん?」となった。

20代前半と思しきその子は、片手に持ったスマホを覗き込みながら、もう片方の手の指を丸めてほっぺの肉をきゅっとつまんでいる。いわゆる「たこ焼き〜」ってやつだ。

この人、ひとりで何してるんだろ?

興味が湧いたのでしばらく様子を観察することにした。

その子は、たこ焼きの後はスマホの画面を顔にめいっぱい近づけ、今度は上目遣いでポーズを取った。ますますおかしい。妙な人だ。

彼女はおもむろにスマホを顔から離し、膝の上に画面が仰向けになるように置いた。そうしたら、画面に人の顔が映っているのが見えた。男の顔?どうやら彼氏とFaceTimeをしているらしかった。通話をしているようには見えなかったが、ワイヤレスイヤホンを付けているのかもしれない。長い髪に耳が隠れていてわからないが。

彼女はさらにスマホを持ち上げ、自分の背後、車内の壁に向け始めた。どうやらスマホのカメラは後ろに掲載されている美容外科クリニックの広告をとらえているようだ。彼氏からの指示か?しばらくそうしていた。その広告の話題で盛り上がっている雰囲気が伝わってきた。

そうこうするうちに、彼女は席を立ちどこかの駅で降りていった。

なんか楽しそう。微笑ましくは全然ないけれど、いろんな人がいて面白い。

2019 day20

フジテレビの『ザ・ノンフィクション』を観た。39歳、頑張らない生き方。銀座でカレー屋を営む39歳女性の話。

観ながら、これは相当多くの反響を呼ぶだろうなと。その反響の多くは批判で、共感の声は少ないだろうなと。そう思った。主人公のはるかさんが、世間的には好き嫌いの分かれるタイプだからだ。そして、好きな人のほうが少数派だろう。コアなファンに支えられている人は、世間の間口が広くないことが多い。これは批判ではなく、テレビ画面から伝わってくる情報だけで判断した、自分の経験に基づく感だ。

定刻通りに店を開かないとか、客と飲んでるうちに酔ってきたので早めに店を閉めるとか、その閉店作業も客に手伝わせるとか、そういうことが頑張らないという言葉の定義として紹介されていた。頑張らない=自然体=ユニークな生き方=魅力的、というような方程式を組み込んで番組は構成されているが、前提に不自然さや謎があり、どうしてもストンと飲み込むことができない。この感覚は視聴者の多くが感じるだろうし、それが主人公のはるかさんや番組への批判に繋がる要素になり得るだろうことは、観ている途中から予感していた。そして結局、上記の方程式は分解されることなく番組は終わってしまった。

いや、まったく解を示さなかったと言えば嘘になる。解の入り口くらいまでは辿ることができていた。例えば、はるかさんの前職がクラブのママだったことは誰もが腹落ちする話だろう。日芸を出た後ピアノの講師をしていたこともあるそうだが、水商売歴のほうが圧倒的に長いはずだ。ママになるにはそれなりの下積みがあっただろうし、彼女のカレー屋がほぼ常連客で回っていることや、普段の移動にタクシーを使っていること、雑居ビルとは言え銀座に店を構えていること、銀座の店で飲み歩いている様子なんかを見ても、それなりの金を持っていることが想像できるし、お水の世界が板についていることもわかる。そもそもスナックの居抜き物件をそのままカレー屋にする感覚は、初めからカレー屋を志すような人は持ち合わせていない。店の棚にも酒が並んでいたし、客からビールを奢ってもらうところなど、水商売っ気が抜けていないのが見て取れる。また、新潟の実家の美味しい野菜を食べさせたいというのが先行していて、カレーが主役ではなさそうだというところからも、はるかさんの本望はカレー屋を営むことではなく、何かしらの形で銀座に棲みつくことのように思えた。

カレー屋をやるのに銀座という土地にこだわる必要はない。何かがあってクラブを辞めた、それは結婚かもしれないし、3年後の離婚かもしれない。水商売から半分抜け出せていないのは、はるかさんがその世界で得たものを手放したくないからだ。だから銀座だし、だから自由なのだ。

自由には裏がある。その裏は語られない。自由であることと好き勝手やることは違う。誰にも何にも縛られない自由な生き方。それをこの番組は「頑張らない」と表現している。

はるかさんは決して自由ではない。彼女を縛る見えない鎖は確かに存在している。番組の視点や語り方が中途半端なのでわかりづらいが、点と点を繋いでいけば、幾重にもなった鎖の束がうっすらと見えてくる。

一つ間違いないのは、はるかさんは、水商売時代の人脈やそこで培われたアイデンティティを手放したくないということ。そうでなければ、年老いた祖父と両親が心配だからと、実家の離れを1,000万円かけてリフォームしてそこに住み、新幹線で銀座まで通うなどという破綻した決断は下せない。

お金の工面も謎だった。リフォーム資金の話のくだりで、「私が全部出すわけじゃないし」と言っていたのはどういう意味か。親も出すという意味か?だとしたらこの無茶苦茶な計画に付き合っている親にも注目しなければならない。だって離れじゃなくて母屋に一緒に住めばいいのだから。この家族の闇を疑ってしまう。

資金提供元としてほかに考えられるとすれば、パトロン。数人いてもおかしくない。それは彼女の我儘にとことん付き合う男の常連たちを見ていれば察しがつく。

男の常連と言えば、ビールを店の冷蔵庫にしまう手伝いをしているのは「実は社長さんなんです」というようなとてもいやらしいナレーションがザワザワしたが、はるかさんがこのような人たちに愛されているからこそ、この店の存在が成り立っているのだ。経営が成り立っているのかどうかはまったく別の話だが。ほかにも、千葉の内房あたりから月に二回通い、閉店まで居座るワケありそうな37歳会社員や、リフォーム見積りの交渉で長岡くんだりまで付き合わされた挙句、1,000万円のリフォーム代は妥当ということが早めの段階でわかってしまう建築家など、香ばしい要素が満載だった。

頑張らない生き方を象徴するセリフとして番組がフィーチャーしたと思われるのは、はるかさんのこんなセリフ。「子供は欲しい。結婚はしないけど、子供は欲しい。でも産んだら大変なんだろうな」番組は彼女のユニークさをどのような形で表現したかったのだろうか。

はるかさんの生き方に共感はしないが、批判するつもりもない。所詮、他人のことだ。あれだけの常連を囲めるのは才能が無ければできないし、番組では語られていない努力もしているはずだ。そういう点では素晴らしいと思う。

しかし、番組の作り自体は決して褒められたものではない。下手ウマなのか、意地が悪いのか、取材対象との距離が縮められなかっただけなのかはわからないが、作りとしては足りないものがあったり余計な注釈があったり、不安定極まりない。ただ、この番組が興味深く、何にそんなに惹きつけられたのか、自分なりの解釈を深掘りしたくなった。そしてこの長文を書いた。

最後に、自分が飲食店の経営者なら、キッチンに客を入れることは絶対にしない。衛生面においても、プロのプライドという観点からも。

 

追記

水商売の経験、都心の飲食店、女店主、客に手伝わせる、というキーワードだけを並べると、神保町の未来食堂も共通するが、似て非なるものとは正にこのこと。

あと、頑張らない生き方、というタイトルはやはり解せない。肩意地張らずにありのままの自分で頑張る生き方、というなら頷ける。

で、この番組が視聴者である自分や妻に与えた影響かどうかは知らないが、今晩の夕食はカレーライス。スープカレーではないけれど。

2019 day17

昼休憩で表に出たのは今年初。というか昼休憩が初。

嬉しいなぁどこに行こうかなぁそうだ中華に行こう。ラーメン+半チャーハンにするか、それともワンタン麺単品にするか、どうしようかなぁ。

そんなことを考えながら歩いていたら、赤いアウディが脇道から出てきた。赤い車もいいな。かわいいよね。運転手は?おばさまか。赤い車も女性が乗る分には嫌味がなくていいよね。

広い通りに出て信号待ちをしていたら、今度は青いポルシェ911が颯爽と通り過ぎた。おっ、かっこいい。どんな人が運転してるの?こちらもおばさまか。すごいの乗ってるなぁ。低音鳴らして走り去っていく。

勤務地は高級住宅地に近いので、それなりの人がそれなりの車で走っている。奥様みなさんいい車をお持ちで。純粋に「すごいなぁ」と独り言ち、お昼のメニューはワンタン麺に決めた。空は快晴だった。

2019 day14

完治したと思い込んでいた左膝の違和感が、開始10分で再発。騙し騙し続けることもできず、今日のランは2キロで断念。

そういえば先週から左手首も痛めているんだった。原因は不明だが、捻ったり重いものを持ったりするのは苦手な状態だ。スマホもあまり長く持っていたくない。

そんなコンディションで約2歳半の息子を抱っこして歩くのはそこそこの苦行。午後出かけてその後、駅からの帰り道、寝息立てているコイツはまるで米俵のようにずっしりきたが、米俵と違って地面に転がすことができない。痛む左膝と左手首は右膝と右手首でカバーしながら歩く。とりあえず腰だけは痛めないように気を付けねば。昔の古傷が気になる。しかし関節ってつくづく大事だ。