キャロル

2月鑑賞作品。

鑑賞メモより。

シナリオ、映像、プロップ、演技の完成度が高く、全てがこうでなくては成立しないというほどの完成度の高さを感じた。ただ、感情移入できる話ではなかったので、最初から最後まであくまで傍観者。ハージがあまりにも可哀想だったし、キャロルの芯の貫き方が必ずしも正しいとは思わない。

名曲

真っ赤なアンプを何台か数珠繋ぎにして、ギターを手に歌を作っていた。そんなに苦労することなく一曲仕上がった。いい曲ほど、割と時間がかからずにスルスルと出来上がるものだ。

一節歌ってみたら、これはいけると確信した。メロディと併せて詞も自然と浮かんできた。詞先でも曲先でもなく、ほとんど同時進行で歌が完成していく。メロディとコード進行は身体で覚え、詞はノートに書き出して忘れないようにしておく。

仕上がったところで一曲通して歌ってみた。少しノスタルジックで寂寞感のある曲調と詞の世界。これは名曲の予感。自分の知っている既成の歌で似ているものは思いつかないが、世界観が似ているものを強いて挙げるとすれば、THE BEATLESの『In My Life』とGeneの『London, Can You Wait』を足して2で割り何かを掛けたような感じだ。



という夢を見た。目が覚めた今では詞も曲も覚えていない。ただ、Aメロのコード進行だけは覚えていて、確かA⇨E⇨Bm⇨Dのはずだ。嗚呼、なんてありがちなコード進行なんだ。

夢に見た名曲をそのまま再現できたポール・マッカートニーは天才だ。天才の真似は逆立ちしてもできない。

水風呂リテラシー

たまに、リフレッシュするため近所の銭湯に行く。泡風呂⇨サウナ⇨水風呂⇨泡風呂の順番で入る。泡風呂で背中に泡を当てて凝りをほぐし、サウナで思いっきり汗を流す。そして、水風呂に肩まで浸かり、開いた汗腺をきゅっと引き締めて、最後に泡風呂でもう一度身体を温める。このお決まりのコースでだいぶ疲れが取れる。

それぞれの風呂で自分なりの決まりがあるのだが、水風呂だけは周囲の環境に影響されるところが大きい。まず足だけを水風呂に入れる。胸に何度か水をバシャバシャかけてから、胃のあたりまで浸かる。少し間を置いてからゆっくりと肩まで浸かる。そして、膝を折りたたみ体育座りになる。あとはじっとするのみ。

ポジション取りも重要だ。必ず蛇口に対して対角線上に座ることにしている。溢れ出してくる水の勢いが一番弱まる位置というのがポイントだ。何故か。

水風呂の中でしばらくじっとしていると、身体の周りにほんのりと温かい膜が張る感覚を覚える。実際に温かいのだ。この時、なるべく水を揺らしてはならない。水が揺れると、この温かい膜が壊れてしまうからだ。そのため、水の流れが一番穏やかな場所に入るのだ。これが鉄則。

水風呂には、熱い風呂では得られない独特の刺激がある。疲れが取れる癒し効果と、新しい生気が吹き込まれる目覚まし効果の両方が、同時に訪れる。これが快感。頭の中が研ぎ澄まされ、身体の隅々まで感度が高くなり、まさに”生き返る”のだ。

先日のこと。ちょうどサウナから出たところで先客が二人、蛇口付近で足だけつけて談笑していた。静かに自分の定位置におさまる。ほどなくして温かい膜が張り始めた。

と、その時。左側からザブンと一人入ってきた。少々警戒し、これ以上動くなよと念を送る。膝のあたりの膜が少し剥がれたが、その他の部分はまだ無事だ。じっと耐えて、新しい膜ができるのを待つ。

入り方が雑なだけならまだ許せたが、あろうことかそいつは手や足で水を掻き回し始めた。足の周りも腕の周りも胴体の周りも、左側を中心にどんどん膜が壊れていった。ああ、壊れていく。大切な膜が、壊れていく。膜が無くなれば完全な丸腰だ。冷水に身体が蝕まれていく。

ひとしきりじゃぶじゃぶやったあと、そいつはどこかに行ってしまった。大して水風呂を楽しむわけでもなく、水風呂の恩恵を知りもしないで、静かな幸せを感じている他人のことなど気にもせずに、やりたいことだけやって出て行った。これだからリテラシーのない奴はイヤだ。もっと常識をわきまえて欲しい。水風呂の礼儀を学んでから出直してこい!

憤っていたその時、オバサンの従業員が誰かを呼びに浴場に入ってきた。各々好きなところで寛いでいた男どもは、蜂の子を散らすようにすごすごと隅っこに逃げて行った。浴場の中心にある水風呂には自分ひとり取り残された状態。

慄くな、男子ども。その程度で隠れるんじゃない。もっと堂々としていなさい。銭湯の主人公は我々だぞ。さて、これからじっくり膜を張ろうかな。

オバサン従業員のおかげで、ようやく水風呂で優雅な時間が送れたのだった。はぁ〜あ。

残穢ー住んではいけない部屋ー

ホラーというよりはミステリー色のほうが強い映画。不思議な現象の謎を解くために、その土地の歴史を遡って調べていく。そして、徐々に明かされていく過去の人々の怨念が、実は様々な背景をもとに絡み合っていったということがわかる。

わっ!と驚かすわけでもなく、かと言ってじめっとした恨み節が前に出てくることもなく、我々の住むこの土地には、過去の住人たちのいろんな人生が染み込んでいるということを教えてくれる。その人がどんな人生を歩んだのか、その土地にどんな事件や事故があったのか、時代を経て紡がれた数多の人生の縮図が、穢れとして現代に残されている。穢れに触れることは、その怨念を背負い込むことにつながる。興味本位で首を突っ込むなよ、そんなメッセージを受けた気がした。

「私」こと主人公のホラー小説家がオカルトには懐疑的という設定が良い。彼女の一歩引いた視点から捉えるクールな反応が、作品内で起きる奇妙な現象を引き立てているし、本作の謎解き要素を強めてもいる。

また、準主役の大学生「久保さん」が建築学科というのも、話の推進力を保つのに説得力があった。寝室から聴こえてくる畳を掃くような音に気味悪がるものの、すぐにはその部屋を引き払わずに住み続ける彼女の肝っ玉には驚いた。きっと現実主義者なのだろうな。音が出なくなる法則を見つけてみたり、近所の人に昔ここで何があったのか聞き込みをしてみたり、案外冷静に暮らしている。しかし、その音のもとが何であるかを解明してしまうと、気味が悪いを通り越し気持ちが悪くなる。さらに前の住人の末路を考えてみれば、さすがに引っ越さずにいられない。

似たような別々の話を辿ってみると、一つの話につながる。ちょっとずつ似ている話はすべて大もとが一緒。これがほんとのヤバイ話。触れちゃいけない穢れがそこにある。普段の生活に溶け込んでいそうなこういう話こそ、じわじわと恐怖がこみ上げてきて好きだ。

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順番待ち

順番待ちのできない大人が増えている。例えば顕著なのが電車の順番待ち。ホームで次の電車を待っている。先頭に立っていると、次第にぞろぞろと横や後ろに列ができ始める。やがて電車がやってくる。降りる人の為にドアの脇に寄ろうとすると、いつの間にか自分より前のポジションで電車に近づいている人がいる。大概の場合でジジイかババアだ。降りる人も降り切らないうちに、そのジジイやババアは電車に乗り込んでいく。こういう奴らのために高い年金や税金を払っているわけではないと度々思う。

 
高齢者だけではない。若者でも順番を知らない奴がいる。今回もやはりこちらが先頭で並んでいた時の話だ。ホームに入ってきた電車は回送だった。アナウンスでもしきりに回送だから乗車するなと言っている。が、順番待ちのできない奴は人の言うことも耳に入らないようで、その20代くらいのスーツを着た男は、スマホ片手に普通に回送電車に乗り込んで席に落ち着いた。他にもうっかり乗り込む輩がいるので、そいつは自分の間違いになかなか気づかない。再三アナウンスが流れ、様子がおかしいことに気づき始め、ようやく回送電車ということを理解して降りてきた。そして何故か順番待ちの列の先頭に立つ。お前は一体誰なんだ?そいつの後頭部を見つめながらそう思った。
 
パン屋でも順番待ちのできない奴がいた。そのパン屋では客が一列に並び、3台くらい用意されたレジに順番に通されていく。いわゆるフォーク型のレジ前ラインだ。ひと通り買いたいパンをお盆に乗せ終わった妻が、その時は誰も並んでいなかったレジ前に進んでいくと、後ろから倍速の動きで近づいてくるケバい中年女がいた。その女は店がわざわざ塞いでおいた通路を通り、妻を追い抜きレジに到達した。妻は自分の眼の前に突如現れたケバい女にも動じることなく、ほかのレジへ歩を進めた。エライぞ、妻。
 
年寄りだから許される。人を押しのけてでも先に行きたい。
 
ちょっとズルをしても大丈夫。どうせ気づかないでしょ。
 
そもそも順番なんて概念がない。空いてるスペースがあるから入り込むだけ。
 
世の中で起きている不幸な争いごとの半分は、こういう順番待ちのできない輩たちのつまらない小競り合いなのだろう。

Re:さらば あぶない刑事 ※ネタバレあり

どうしてももう一度スクリーンで観たくて、過日、再度映画館へ。タカとユージの勇姿をこの目にしっかりと焼き付けに行った。

一度鑑賞済みということと、公開当初よりは冷静なモードになっているということもあって、前回は目をつむっていた映画としてのアラやムリが、とても目立って感じた。

本作は、あぶない刑事の現役にどうピリオドを打つかということがテーマとなっている。悪を憎み権力に逆らい、派手なことばかりやらかしてきた港署の問題児が、いつしかレジェンドと呼ばれるようになった。しかし老いてなおテンションを高く保ち続け、刑事生活の最後も自分たちなりのケリをつけるつもりでいる。そんなタカとユージの姿を描いたハードボイルド・アクション映画だ。

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定年退職までのタイムリミットはあと5日。タカとユージのスタンスは最後の最後まであぶない刑事でいること。逆に透達は、無事にふたりを定年退職させたい。この二つの対立軸がストーリーの肝となる。

プロットは、大まかに以下の10個に分かれる。

さらばのプロット①
ステップを踏みながら留置所を訪れたユージ。鉄格子の奥にはタカが。「タカ」「ユージ。遅かったじゃないか」

さらばのプロット②
銀星会の残党である闘竜会の伊能をパクることを現役生活最後の仕事と決めたタカとユージ。伊能の開くブラックマーケットに潜入しこれを叩こうとするも、思わぬ伏兵に返り討ちにあう。

さらばのプロット③
闘竜会を潰して代わりに横浜を牛耳ろうと現れた過激犯罪組織BOB。ユージは以前更生させた青年・川澄を救うため、タカは恋人・夏海の過去の因縁もあり、BOBとの対決に発展。

さらばのプロット④
夏海が捕らわれ、そして殺される。

さらばのプロット⑤
夏海の死に打ちひしがれるタカ。独りでBOBのアジトに乗り込むユージ。心配しつつもユージを応援する透。「そんなのタカさんらしくない!」とタカを叱咤する薫。

さらばのプロット⑥
傷を負い、敵に囲まれ絶体絶命のユージ。そこへ颯爽と現れる白馬の王子様ならぬ単車のあぶない刑事ことタカ。伝説のコンビが復活。

さらばのプロット⑦
タカと吉川晃司の単騎決戦。ユージの援護もありタカに軍配。でもなんだかんだでこの日二発目を撃たれちゃうユージ。

さらばのプロット⑧
何十人もの暴力団構成員たちに追い込まれ、今度こそ絶体絶命のタカとユージ。「おまえの夢って何だよ?」「子供を作って、ダンディな刑事に育て上げる」「ユージ、おまえと出会えてよかったよ」「俺こそ最高のデカ人生だった」この一連の泣かせる会話が本作のクライマックス。残りの弾の数と敵の数が合わないのに真正面から突っ込んでいくタカとユージ。

さらばのプロット⑨
横浜港で、ハマの平和のために倒れていった者たちへ黙祷を捧げる透と港署関係者たち。

さらばのプロット⑩
ニュージーランドのオークランドでゴルフを楽しむタカとユージ。無事に死地をくぐり抜けたふたりは、一緒にニュージーランドへ渡り、探偵事務所を設立していた。結婚詐欺に遭った薫がふたりを訪ねてきて、逃げろ〜。

エンドロール。このエンドロールは、往年のあぶない刑事ファンにはたまらない作りになっている。

さて、気になっシーンの数々だが……。

まず、ユージが川沿いを走るシーン。初回の鑑賞時には気付かなかった発見を今回してしまった。身のこなしは軽やかではあるものの、その走りっぷりには以前の疾走感が失われていた。齢60を過ぎているわけだから、当然と言えば当然か……といくばくかの寂しさに浸った次の瞬間、我が目を疑った。そして、気付いてしまった。走るシーンはおよそ7〜8カットに分けられていたが、そのうちの2カットくらい、柴田恭兵ではない別人(ダブル)が走っていたのだ。そりゃ、昔からレパードのドリフト走行は柴田恭兵ではなくスタントだったし、舘ひろしだって両手放し以外のアクロバティックなバイク操縦はスタントがやっていた。それは理解できる。残念とも思わない。でも、走るのは!ユージのランニングショットだけは、柴田恭兵がやらなきゃでしょ!!

以下、人物ごとに。

薫にとっては行かず後家の先輩
松村会長こと木の実ナナは、もうセリフを覚えることができない。中さんのラーメン屋台でのシーンは、完全にカンペを読んでいた。相手(舘、柴田)との間合いもずれている。舞台の袖からプロンプターにセリフを教えてもらっている新劇の老年俳優みたいな芝居だった。

二代目課長
小林稔侍も、もう隠居老人にしか見えなくなっている。タカとユージが定年するのに、なぜこの人はいまだに現役で県警本部長なんかやっているのだろう?

4ヶ国語を操る日系人
吉川晃司は、敵役としていい人選だったと思う。顔も体つきも、舘&柴田コンビと張っても引けを取らない迫力がある。蹴りもいいし。似非カンフーみたいなのはどこまで本気なんだか不思議だったが。あと、まぶたの黒いアイラインは必要だったのか不明。

もう一人のレジェンド
薫。痛々しさの限界を超えた。浅野温子のコメディエンヌっぷりが最大限に発揮されている。もうセリフが支離滅裂で、「小麦粉塗ってるから大丈夫」とか意味わからない。本人も自分でわけのわからないアドリブを入れているのは自覚しているらしいが。キツイと感じるギリギリのラインで、可愛らしいし面白い。敵にマシンガンで襲われたあとの「なんで私を撃たない!惚れたわね?」はこの人にしかできない。本作の見せ場の一つだ。

謎キャラ夏海
夏海こと菜々緒。このキャラ必要か?とは妻が言ったセリフ。タカの悲しみを引き出すには必要なキャラだが、そもそもタカにこんな悲しみをもたらす必要性があったのか、そしてそれは結果的にタカの老いを観客に感じさせてはいまいか?いや、それが目的だったならいいが。老後を楽しみにしているタカと、そんなタカと離れるのが寂しいユージ、というふたりの老い方の違いを見せたのは、なんかリアルだなぁと感じた。夏海というキャラのお陰で、悲しみに暮れるタカを見守るユージの姿にグッときたのは、本作の大きなポイントではあると思う。

頼りになる町田課長
透は唯一まともな人。今や一番安心して見ていられる。それは透というキャラの成長でもあり、俳優仲村トオル自身の成長の影響でもあると思う。透はとても素敵な大人になった。

あぶないオジサン、ユージ
冒頭からノリノリでステップを踏んだり、ブラックマーケットに車で突っ込む時「オラオラオラー!」と叫んだり、レパードを運転しながらリズムに乗って「ハッ!ハッ!」と気合を入れたり、とにかく終始テンションが高い。若い頃のテンションを保ったままのオジサンがいかにアブナイかということがよくわかる。

老いたタカ
声がかすれ気味で、少し渡哲也を彷彿とさせた。老けた声になっていた。そこらへんは経年変化ということで受け止める。しかし、タカは肉体面だけでなく精神面も衰えていた。怒りを爆発させることは幾度もあったが、悲しみの感情を露わにすることはこれまでのタカからは想像すらできない。夏海を抱きかかえて嗚咽するタカの姿に、定年退職を間近に控えた初老の男の悲しみを見た。



と振り返ってみて思ったのだが、最後は映画ではなくテレビドラマに戻ってもよかったのではないか?『あぶない刑事』はテレビサイズが一番合うと思うのだが。だって、これまでの劇場版のどれよりも、テレビシリーズを観返していたほうが面白いのだ。原点であるテレビシリーズで完結してもらいたかった、というのは贅沢な願いだろうか。

オデッセイ

普通、火星に一人取り残されたら嘆くし、食料の残数を計算して次の探索隊が来るよりはるか前に尽きるとわかったら、誰しもが絶望のどん底に堕ちるはずだ。でも本作の主人公マーク・ワトニーは、とにかく前向きに、努めて明るく、この過酷な状況を乗り越えようとする。

水を作り、畑を耕し、芋を栽培して、地球からの救援が来ることを信じて、逞しく生き延びる。観ていて希望が湧いたし、火星でのプランテーションは非常に興味深かった。

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邦題の『オデッセイ』は「長い冒険の旅」というような意味合いで付けられたのだろうが、どうもしっくりとこない。マークは旅の途中で仲間とはぐれ、彼の地に留まりサバイブしているのだ。放浪しているわけではない。原題の『THE MARTIAN』こそピタリとはまる。マークは火星で食物を作った最初の人で、すなわち火星を植民地化したわけだから、やはり彼はマーシャン(火星人)だ。

原作は新人作家の小説で、これがベストセラーとなり、一般読者だけでなくハリウッド関係者やNASAの科学者達も虜にし、今回の映画化に至った。アメリカン・ドリーム、恐るべし。